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初めての確認は1976年のスーダン |
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1976年6月末、スーダン南部ヌザラの綿工場に勤める倉庫番の男性が、出血熱様症状を示しました。次いで、他の部署の男性2人も同様の症状で倒れました。
これが初めてエボラ出血熱と認識された流行の始まりでした。
この3人の患者さんを源として、家族内、病院内感染を通して、エボラ出血熱の流行が拡大しました。合計、284人がエボラ出血熱を発症し、151人が死亡しました。致死率は53%にもなります。 |
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1976年コンゴ民主共和国 |
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スーダンでの流行とは別に、1976年8月末、コンゴ民主共和国(かつてのザイール)北部のヤンブクで1人の教会学校の助手の男性が、出血熱様症状を示しました。
その患者さんが収容されたヤンブク教会病院での治療・看護を通して、大規模な流行が発生しました。合計、318人がエボラ出血熱を発症し、280人が死亡しました。致死率は88%にもなります。 |
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1995年コンゴ民主共和国 |
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その後、スーダン、コンゴ民主共和国、象牙海岸で、散発的な流行が確認されました。
しかし1995年、コンゴ民主協和億中央部のバンドゥンドゥン州キウィトの総合病院を中心として、エボラ出血熱の大規模な流行が発生しました。
合計、315人はエボラ出血熱を発症し、244人が死亡しました。致死率は77%にもなります。 |
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現在でも流行が続く |
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エボラ出血熱の流行は現在でも、コンゴ民主共和国、ガボン、スーダン、ウガンダなどで比較的大きな流行が続いています。 |
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エボラ出血熱の名前の由来 |
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エボラの名前は、コンゴ民主共和国のヤンブクの最初の患者の出身村を流れるザイール川の支流エボラ川の名前です。 |