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極楽寺坂切通し
極楽寺坂切通し
極楽寺切通しとも呼ばれます。
鎌倉七口のひとつで、由比ガ浜を通って藤沢方面へと抜ける道です。
鎌倉時代後半に開かれたと考えられており、開通後は鎌倉から京都へと向かう主要路となりました。それまでは稲村ガ崎を通る道が主要路となっていました。
極楽寺の忍性が切り開いたと伝えられています。
現在の極楽寺坂は左右が崖となっているV字状になっていますが、その上が当時の極楽寺坂切通しの高さになります。傾斜を緩くするため何度も掘削されて現在の極楽寺坂となりました。
1333年(元弘3年)、新田義貞による鎌倉攻めのエピソードが有名です。
武蔵国の分倍河原の戦いに勝利した新田義貞は、藤沢まで進軍し、巨袋坂・化粧坂方面と極楽寺方面に軍を分けて鎌倉に侵攻しました。
極楽寺方面は大館次郎宗氏、江田三郎行義を大将とし、鎌倉方は大仏陸奥守貞直が迎え撃ちました。しかし、急峻な地形に陣を張っていた鎌倉方を破ることはできず、大館次郎宗氏は討ち死にしました。
巨福呂・化粧坂方面から駆け付けた新田義貞は、鎌倉方の軍勢を見て攻略は不可能と判断し、稲村ケ崎の海岸線から鎌倉入りを目指しこれに成功しました。
極楽寺|鎌倉市極楽寺
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巨福呂坂切通し|鎌倉市雪ノ下
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江ノ電極楽寺駅下車 徒歩6分
極楽寺坂切通しの写真
極楽寺方面から坂ノ下方面の写真です。
急な下り坂のはずなんですが、ちょっと登っているようにも見えますよね(^_^;)
右側の階段が成就院へと昇る階段になります。
成就院の建っている場所が、作られた当時の極楽寺坂切通しの高さになります。
梅雨時期になるとアジサイが綺麗に咲くお寺です。
掘り下げて掘削したというのがわかります。
かなり深く掘り下げたようです。
掘り下げた場所は、一部は崖のままとなっています。
坂道を緩くするために掘り下げられました。
たくさんの落ち葉が積もっていて、綺麗な坂道でした。
この写真は坂ノ下方面から極楽寺方面を撮った写真です。
この写真だけ上り坂になるんですが、やっぱり上り坂の写真の方がわかりやすいですね。
今回は極楽寺方面からアプローチしたので、下り坂の写真ばかりになってしまいました。
昭和7年3月に建立された鎌倉町青年団による石碑です。
この石碑が建っているのを見ると、鎌倉で史跡巡りをしているんだなっていう実感が得られます。
現在では鎌倉らしさを感じるようになり、実に良くできた石碑だなと思っています。
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