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理智光寺跡


理智光寺跡

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
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理智光寺跡
理智光寺跡

 道に迷って住宅街を歩いていたら、突然目の前に現れた石碑。何だろうと思っていたら、理智光寺(りちこうじ)跡の石碑でした。
 鎌倉の史跡巡り・観光地巡りは、石碑が建っているのでわかりやすいですね。この石碑、誰が建てたものなんだろうって不思議だったんですが、鎌倉町青年団・青年会が建てた石碑だということがわかりました。80基以上もの石碑があるらしいです。
 現在では寺院の面影はありませんが、理智光寺、または理智光院と呼ばれたお寺の跡地です。明治初年に廃寺になってしまいました。
 山号は、五峰山(ごほうさん)と言います。開山は覚園寺にゆかりのある願行上人です。その以前は、後藤基綱(ごとうもとつな)が源実朝(みなもとのさねとも)の供養のために建てたとも言われています。
 覚園寺薬師堂の東端に安置されている鞘阿弥陀如来(さやあみだにょらい)は、鎌倉六阿弥陀のひとつに数えられ、もともとは理智光寺にあった仏像でした。

写真撮影:2009年02月17日

理智光寺跡

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
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 石碑の文字は彫りが浅くて読み取りずらいのですが、この碑文には白い塗料で塗られているので、読みやすいですね。塗られている石碑と、塗られていない石碑があるみたいです。
 碑文には・・・
 此所ハ願行上人ヲ開山トセシ五峰山理智光寺ノ址ナリ
 建武二年 淵邊伊守義博ハ足利直義ノ命ヲ承ケ 護良親王ヲ殺シ奉リシガ 其御死相ニ怖レ 御首ヲ傍ナル藪中ニ捨テ去リシヲ 当寺ノ住僧拾ヒ取リ 山上ニ埋葬シ奉リシトイフ
 昭和七年三月建 鎌倉町青年団
 こんな感じで書いてあったよ。頑張って読んでみた。護良親王の墓の由来が書かれてあります。
三浦半島観光地図:鎌倉二階堂・護良親王の墓

写真撮影:2009年02月17日
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