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護良親王の墓


入り口

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
入り口
入り口

 護良親王(もりよししんのう・もりながしんのう)のお墓の写真です。住宅街を歩いていると、突然現れるような感じの場所にあります。理智光寺跡の石碑が建っている目の前にあります。
三浦半島観光地図:鎌倉二階堂・理智光寺跡
 『太平記』には、1335年(建武2年)、足利直義の命令を受けた淵辺伊賀守義博(ふちのべいがのかみよしひろ)は、護良親王を殺害しました。親王の形相はあまりにもすさまじく、目がまるで生きている人のようだったので、こんな首は主人に見せない方がいいと考え、そばの藪の中に投げ捨ててしまいました。
 それを聞いた理智光寺の住職が、この地に埋葬し手厚く葬りました。そのため、首塚とも呼ばれています。
 つまりこの場所も、理智光寺の境内ということになります。

写真撮影:2009年02月17日

石碑

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
石碑
石碑

 後醍醐天皇皇子、護良親王墓って書いてあります。
 皇子といえば、護良親王なのかもしれませんが。私にとっての皇子といえば、銀魂に登場するハタ皇子です。無類の動物好きで、モデルとなった人物はムツゴロウの動物王国でお馴染みの畑正憲です。
 近くには、護良親王が祀られている鎌倉宮があります。鎌倉宮は別名を大塔宮とも呼ばれており、護良親王の土牢があります。
三浦半島観光地図:鎌倉二階堂・鎌倉宮
 護良親王が大塔宮と呼ばれるのは、6歳の頃に尊雲法親王として、天台宗三門跡の一つである梶井門跡三千院に入りました。東山岡崎の法勝寺九重塔(大塔)周辺に門室を置いたことから、大塔宮と呼ばれるようになりました。そこから、鎌倉宮の別名も大塔宮で、バス停の名前も大塔宮です。

写真撮影:2009年02月17日

灯篭

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
灯篭
灯篭

 大きくて立派な灯篭です。擬宝珠と笠の部分だけ、色が違う。石材の種類が違うのかな?
 1308年(延慶元年)、後醍醐天皇の息子として生まれました。
 1325年(正中2年)、天台宗の門跡を継承し、門主となりました。1327年(嘉暦2年)〜1330年(元徳2年)、天台座主になっています。武芸を好み、日頃から鍛練を積んでいました。
 1331年(元弘元年)、後醍醐天皇が2度目の鎌倉幕府討幕運動の元弘の乱を起こすと、還俗して反幕勢力として参戦します。
 討幕の功労者足利尊氏とは仲が悪く、討幕後も上洛せず信貴山(現在の奈良県生駒郡平群町)を拠点に尊氏を牽制します。建武の新政で、護良親王は征夷大将軍となり、足利尊氏は鎮守府将軍となりました。
 その後、足利尊氏暗殺のため兵を集め辻斬りを働いたりしました。その結果、征夷大将軍を解任され、1334年(建武元年)、皇位簒奪を企てたとして、後醍醐天皇の意を受けた名和長年、結城親光らに捕らえられてしまいます。足利方に身柄を預けられて鎌倉へ送られ、鎌倉将軍府にあった尊氏の弟足利直義の監視下に置かれました。
 1335年(建武2年)、北条時行の中先代の乱が起き、関東各地で足利軍が北条軍に敗れ、二階堂ガ谷の東光寺に幽閉されていた護良親王は、時行に奉じられる事を警戒した直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されました。

写真撮影:2009年02月17日

参道

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
参道
参道

 入り口を入ってから、護良親王のお墓がある場所まで、意外と離れています。入り口を入ってすぐの場所にありそうな感じがするのですが、細い道が続きます。
 太平記の時代の本を読んでから、護良親王ってカッコいい生き方をした人だなーって思っていました。その人のお墓があることを知ってから、行ってみたいと思っていました。そして、20年ほど前に訪れたことがあります。その当時と、ほとんど変わっていませんでした。

写真撮影:2009年02月17日

参道

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
参道
参道

 細い階段を上らないと、護良親王のお墓まで辿り着けません。史跡を巡ってきて、ここに来るまでにすでに疲れているので、階段を上るのは足に来ますねー。休憩したいです。
 木々に囲まれた急な石段を山頂まで、120段ほど上ります。急な石段から山上の墓のあたりは、深い木立に覆われて静まり返っていますが、現在は宮内庁が管理しるエリアとなっています。

写真撮影:2009年02月17日

護良親王の墓

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
護良親王の墓
護良親王の墓

 一番上まで上ってみると、門が閉まっていましたー。肝心の護良親王のお墓は、この門の先にあります。カギが締まっているから、中に入ることはできませんよ。以前はお墓の中まで入ることができたみたいです。

写真撮影:2009年02月17日

護良親王の墓

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
護良親王の墓
護良親王の墓

 護良親王のお墓、こんな感じになっています。中に入ることはできないんだけど・・・。柵に沿って登って行くことができるので、上まで行けば写真が撮れます。
 石垣で囲まれた中に、石塔を寄せ集めて作ったお墓があります。
 入っちゃいけないことになってるけど、入っている人がいました(^^ゞ

写真撮影:2009年02月17日

護良親王の墓

バス停泉大塔宮下車 徒歩10分
地図
護良親王の墓
護良親王の墓

 実際の護良親王のお墓は、こんな感じです。しっかりとした形ではありませんが宝篋印塔で、大き目の石塔です。非公開になっていますが、ドローンとか、自撮り棒があれば、わりと簡単に写真が撮れるかなと思います。
 いちよ、宮内庁が管理しているらしいです。どうしても内部を見てみたいって場合、柵越えするか、許可を得るしかないですねー。自撮り棒とか三脚とか使うのが、一番良いと思います。
 石塔は1357年(正平12年)に、僧の友柱(ゆうちゅう)が建てたと言われていますが、現在の石塔は当時の物ではないと考えられています。

写真撮影:2009年02月17日
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