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海蔵寺
海蔵寺
扇谷山海蔵寺と号します。もとは真言宗のお寺でしたが、建長寺派に変わりました。
海蔵寺でもらえる案内パンフレット『扇谷山海蔵寺略縁記』を参考に作成しています。
・鎌倉十三仏霊場 第七仏札所
・鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第二十六番札所
・鎌倉二十四ヶ所地蔵霊場 第十五番札所
・相模国二十一ヶ所弘法大師霊場 第五番札所
・東国花の寺百ヶ寺 第九十六番札所
■寺の略史
海蔵寺は古都鎌倉の扇ガ谷の北、風光明媚な渓間(たにあい)にたたずむ臨済宗建長寺派の古刹である。もと真言宗の寺跡であるこの渓に、1253年(建長5年)、宗尊親王の命によって従五位前能州太守藤原仲能が本願主となり、七堂伽藍が再建された。しかし、1333年(元弘3年)、鎌倉幕府滅亡のおりに鳥有に帰した後、1394年(応永元年)4月、鎌倉御所足利氏満の命により上杉氏定が再建したのが、海蔵禅寺である。氏定は源扇禅師(心昭空外)を開山に招いて菩提寺とした。1577年(天正5年)、建長寺に属し今日に至っている。
1791年(寛政3年)の境内図によると、主な建物の配置は現在の姿とほとんど変わらず、塔頭七ヶ院の名と旧跡を図示している。
■本堂(龍護殿)
1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊したのち、1925年(大正14年)の再建。内殿欄間の雲龍彫は1812年(文化9年)、額は1681年(延宝9年)霊芝の筆。間切戸の雲龍・山水の絵は狩野探信の筆になり、正面4枚戸の牡丹唐獅子の絵は藤原義信の筆。
■仏殿(薬師堂)
1776年(安永5年)浄智寺から移築し、翌年、入仏供養を行った。薬師三尊像(鎌倉市指定文化財)、十二神将像、伽藍神像などを安置する。
■薬師如来像と伝説
薬師如来像は仏像の本尊で別に啼き薬師(なきやくし)、児護り薬師(こもりやくし)ともいい、胎内には土中から発掘されたという古い仏面を納めている。
ある年のこと、寺の背後の山麓から何とも悲しげな赤子の泣き声が、毎夜のように開山禅師の耳をとらえた。開山が声の主をたずねていくと、泣き声は古ぼけた墓石の下から聞こえる。しかも、墓域からは金色の光がもれ輝き、あたりに芳香がただよっていた。
そこで開山は、おもむろに経を読み、袈裟をぬいで墓を覆ってみると、不思議にも赤子の泣き声がやんでしまう。翌日、人を遣わしてその所を掘ってみると、立派な薬師様の御顔を得たのだった。
奇端なことだと深く感じた開山は、新たに薬師如来像を造立し、発掘した御顔を胎内に納めて祀ることにしたのである。以来、胸中の像は61年目に開帳するのを習わしにして今日に至った。
三尊像は1846年(弘化3年)3月、鎌倉仏師三橋氏が修理を施している。薬師如来像の眷属である十二神将像も1778年(安永7年)頃から1781年(天明元年)にかけて仏師三橋永助康運によって造立されたものである。
■開山と殺生石
開山源翁(げんのう)禅師は心昭空外といい、那須野の殺生石の伝説で名高い。禅師は越前(現在の福井県)の人で、福島会津の示現寺に26年間止住したのち、建長寺の大覚禅師に参禅・修学、ついで海蔵寺の再建のおり開山に迎えられた。
開山にまつわる下野国(しもつけこく、現在の栃木県)那須野ヶ原の殺生石を砕いた話は、謡曲の『殺生石』にも語られている。
昔、鳥羽天皇が奇怪な病気に悩まされた原因が寵姫玉藻(たまも)の前に化けていた白狐の仕業とわかるや、白狐は東国下野に逃走した。天皇は、三浦義明をもってこれを那須野原に殺させたが、のちに、白狐の霊は石と化して人々を苦しめ始める。石にさわったすべての生物が死んでしまうので、当時の人々は、これを殺生石と呼んで恐れおののいたという。
そこで開山禅師が登場する。開山は那須野に足を入れると殺生石の辺りには白骨が山のようになっていた。禅師はおもむろに教文を唱えながら念力を込めた杖をもって石に一撃を加えると、石はたちまち砕け散り、以来、石の霊は成仏して人々は安穏に暮らすことができたというのである。だから、かなづちを別に玄能(げんのう)と称するのは、この伝説に由来するわけである。
三浦義明|人物事典
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■板碑と古位牌
ともに当寺の代表的な寺宝のひとつで、鎌倉市指定の文化財である。
■阿弥陀三尊来迎図板碑
1306年(嘉元4年)8月の年紀を持つ鎌倉の板碑を代表する優れた作品である。もと当時十六ノ井戸の奥壁左側にはまっていたもので、昭和初年頃までは割れていなかった。
尊像を線彫・浮彫などの手法で絵画風に描き、冷たい石に刻んだにもかかわらず温かみと優しさが伝わってくる。三尊像の下方に供えられた二つの華瓶(けびょう)も素朴で趣がある。鎌倉では、この板碑と同類の完形品はないので、貴重な歴史的文化遺品ということになる。なお、当寺には別に1377年(永和3年)8月銘の阿弥陀一尊図板碑(鎌倉市文化財)を伝えているが、2点とも鎌倉国宝館に寄託中。
■古位牌
木造の大型位牌として貴重かるめずらしい寺宝で、鎌倉では当時に遺るだけである。1423年(応永30年)春の彼岸供養のさい、当寺に尽力した人々などの多くの霊(8万4000霊)を弔い、祠堂に安置されたものであろう。後世、一基の裏面に1515年(永正12年)の年紀があり、同様に供養したことがわかる。なお、建長寺背後の「朱だるきやぐら」にはこの位牌とまったく同形の2基の浮彫がある。仏殿安置。
■庭園
本堂と庫裏の背後に作庭された禅宗風の瀟洒な庭園である。自然を尊ぶ禅宗は、その縮図といえる庭園を造ったが、その心構えは、自然のよい所を自分のものとして作庭するところにあった。これが基本であり、ほかに「乞はんに従う」という言葉通り、自然の地形や岩石・樹木の要求に従って石を置き、木を植え、作者自身の心中の自然を表現しようとしたのである。自力宗である禅宗の自然観が、ここにみられるわけで、禅寺でもっとも禅宗らしく感じられるところが庭園だと言われるゆえんでもある。
当寺の庭園も、まさにその通りで、まず、当寺が風光明媚な景勝の渓間に造営されていることが大事な要素である。庭は「心字池」を中心に何の変哲もない石が、それぞれの”心”という生命を与えられて雪見灯篭などと共に池辺にたたずみ、樹間にひっそりと石の五重塔も配されている。
松竹梅や紅葉の樹、ツツジなど、さまざまな樹木・草花が四季折々の風情をかもし出し、池水は四季を通じて枯渇することがなく、自然の湧水がこれを満たしてくれる。いわば、禅の不動心を表現しているといえるようでもある。
月見台から望む風景は、まさに一幅の絵画であり、泉石は見る者の心を養ってくれる。
■建物
・書院 平成23年建立
・庫裏 1785年(天明5年)3月上棟
・山門 2003年(平成15年)再建。室町期禅宗様式四脚門、額は前南禅美中の書、1682年(天和2年)の銘。
・鐘堂 昭和38年建立。鐘は無乳型。
・岩船地蔵堂 源頼朝の息女大姫の守本尊である岩船地蔵尊を暗示。床下に石仏あり、日本三大岩船地蔵のひとつ。
■遺跡
・底脱の井 金沢顕時の室、尼となり無著禅尼と号し仏光禅師に参禅。無著禅尼の悟り歌「千代能がいただく桶の底脱けて 水たまらねば月もやどらじ」より名づく。鎌倉十井のひとつ。
底脱ノ井|鎌倉市扇ガ谷
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・寂外谷 源頼朝切通そうとして中止。当寺裏山。
・平景清土牢跡 化粧坂入り口山王堂口にあり。
景清の牢|鎌倉市扇ガ谷
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・道知塚 当寺本願主藤原仲能(道知禅師)の墓。
十六ノ井|鎌倉市扇ガ谷
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JR鎌倉駅下車 徒歩25分
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海蔵寺の写真
紅葉が美しいとの情報を手に入れたので、鎌倉の紅葉狩りということで海蔵寺を訪れてみました。
結論から言うとすでに紅葉は終わっていたんだけどね(;^ω^)
山門の扁額です。扇谷山って書いてあります。
四脚門っていうのかな。
修理の時、柱上に渡す水平材の台輪から1468年(応仁2年)の墨書が発見されました。現在の門の大部分の材は、江戸時代のものとなっています。
海蔵寺は写真が好きな人に人気のあるお寺で、この赤い傘がポイントになりますよね!!
写真の中に納めることで色のメリハリがつきます(^^)
海蔵寺は便の悪い場所にありますが、観光客が絶えることはない感じです。静かな雰囲気のためか、人気のあるお寺みたいです。
本堂は扉が解放されているので、中がどうなっているのか見ることができます。
海蔵寺で美しいのはこちらの茅葺屋根の庫裏でしょう!!
本堂よりも、こちらの方が絵になります。
朱印を貰うのもこちらになります。300円だったかな、鎌倉はどこも300円みたいです。
ぜひお参りしておきたいのが、こちらの薬師堂です。
1776年(安永5年)に浄智寺から移築したものだそうです。
薬師堂の中にいる薬師如来です。
こちらが啼薬師(なきやくし)、児護薬師(こもりやくし)って呼ばれています。子育てにご利益があるそうです。
海蔵寺の鐘楼です、頑丈そうな柱です。
除夜の鐘が突けるようです。
海蔵寺の綺麗な庭園ですが、一般観光客は入ることができず、ちょこっと除く程度です。
禅寺では綺麗な庭のあるお寺が多いですね。
海蔵寺の庭園で紅葉を楽しむつもりでいたんですが、すでに終わってしまっていました。
もう少し早ければ紅葉が楽しめたかもしれないなー、海蔵寺は季節の花々が楽しめるお寺でもあります。
境内にはいくつもやぐらがあります。
少し離れたところには十六ノ井があります
海蔵寺の朱印。
庫裏の玄関で小さな鐘をチーンって鳴らすと、中の人が来てくれるシステムになっています。
1回の史跡巡りで1コか2コしか書いてもらわないので、なかなか増えません。集めるのが目的ってわけじゃなくて、記念にもらうって感じかな。
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