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鎌倉市坂ノ下の史跡巡り・観光名所案内


鎌倉市坂ノ下の歴史

坂ノ下の歴史

 三浦半島の基部、稲村ケ崎の北東に位置します。西から北にかけて低丘陵が続き、そのふもとは由比ガ浜に面しています。北部を江ノ電、南部に国道134号が通ります。
 海岸通りを除けば古い住宅地で、民家を改造した料理屋もあります。海の家、ホテル、レストラン、ガソリンスタンド、サーフショップなど、観光客向けの施設も多いです。ユースホステル日本学生会館、鎌倉パークホテル、市営プールなどもあります。
 鎌倉七口のひとつ極楽寺切通し、星ノ井、御霊社などがあります。御霊神社は鎌倉権五郎景正を祀り、9月18日には面掛け行列が行われます。

 戦国時代から確認できる地名で、相模国東群の坂下になります。
 秦野市竜宝寺所蔵の木造多聞天立像銘に「□□是か六人之内、坂下仏所、大蔵法眼長□(盛か)(花押)」とあります。年未詳ですが、竜宝寺所蔵の天文3年3月吉日の年紀のある木造不動明王立像と同年と推定されています。大蔵法眼は長盛のことと考えられ、坂ノ下に仏所を構えて造仏作業を行っていたと考えられます。

 江戸時代、相模国鎌倉郡の坂ノ下村です。
 寛永10年、元禄10年、幕末ともに幕府領でした。
 村高は、『元禄郷帳』、『天保郷帳』、『旧高旧領』とも64石余です。
 『新編相模』では、江戸から13里余、東西2町半・南北2町、家数98軒。神社は御霊社、陸田のみで乱橋村・長谷村と入会、浜辺の住民には漁業を行う者が多いとあります。
 延宝7年から江戸本材木町の新肴場の附浦となり、浦触によって漁獲物すべてを新肴場に納めることになりました。船数は、寛文4年は5艘、享保11年は35艘、弘化4年は34艘、嘉永6年は20艘です。
 9月16日の御霊社祭礼では、異様な面10種を付けて面掛け行列が巡行します。江戸時代には鶴岡八幡宮の祭礼に坂ノ下村の村人が供奉したもので、明治時代になって御霊神社の祭礼として定着しました。

 明治元年、神奈川府を経て神奈川県に所属しました。
 『皇国地誌』では、税地13町8反余のうち田1反余・畑6町4反余・宅地2町8反余、長谷村に飛地があります。明治9年、戸数119、人口654、船数は50石積以下の荷船3・漁船6・藻苅船27の計36艘。
 明治22年、西鎌倉村の大字となりました。
 明治24年、戸数120、男379人、女368人。
 明治27年、鎌倉町の大字となりました。
 明治45年、戸数204、人口1062人。
 大正12年、関東大震災の被害は、戸数361のうち全壊161、半壊118、流失53、埋没6、死者52でした。
 大正14年、戸数180、人口862人。
 昭和11年、坂ノ下海岸埋め立て地に観光道路を起工し、のちの国道134号となります。
 昭和14年、鎌倉市の大字となりました。
 昭和25年、戸数371、人口1584人。
 昭和44年、一部が鎌倉市極楽寺に分離しました。
 昭和45年、戸数477、人口1699人。
 昭和47年、一部が鎌倉市長谷に分離し、一部を合併しました。

地名の由来

 極楽寺切通しの坂の下にあることから。

    長谷
極楽寺 坂ノ下  
稲村ガ崎  

御霊神社の紅葉


御霊神社の紅葉 樹齢400年と推定される夫婦銀杏の紅葉によって、境内が黄色に染まります。
 紫陽花の時期は江ノ電の撮影スポットとしても有名な神社です。

日限六地蔵


日限六地蔵 道行く人々を守ってくれる地蔵です。
 期日を決めて願い事をすれば、その日までに願いがかなうことから日限地蔵と呼ばれるようになりました。

虚空蔵堂・星の井


虚空蔵堂 鎌倉十井のひとつ星の井と、虚空蔵堂です。
 虚空蔵堂の境内には、航海安全の舟守地蔵が祀られえちます。

坂ノ下海岸


坂ノ下海岸 相模湾に広がる坂ノ下海岸。
 毎年1月2日に「船おろし」、1月11日には「汐まつり」が行われます。

鎌倉海浜公園坂ノ下地区


坂ノ下地区鎌倉海浜公園 由比ガ浜、稲村ガ崎、坂ノ下の3地区にある鎌倉海浜公園。
 坂ノ下地区は2ヶ所に分かれています。

力餅家


力餅家 由

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