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三戸浜海岸


お精霊流し

京急三崎口駅下車 徒歩25分
地図

 三戸浜海岸では8月13日〜8月15日、盆行事が行われてきました。その中でも、盆が終わった8月16日早朝、先祖の霊を精霊船に乗せて、富士山が見える西方浄土へ送り返す行事が行われます。
 盆では、先祖の霊を迎えるために、盆棚という棚を設置し、スイカやメロンなど季節野菜を飾り付け、灯篭を用意します。先祖の霊が憑りつくとされる「依り代」、麦わらを長さ約20cmに切り、直径約5cmに束ねて新聞紙などを巻いて整えた後、色紙を切って花模様を付けた円筒形のものを「おしょうろうさま」と呼んで2本作り、皮を剥いだ麻の茎を麦わらより約5cm高く建て、色紙を巻き付けて飾る「おがら」、キュウリで作った「瓜馬」、ナスで作った「茄子牛」を用意します。

 盆が終わる15日の夜、子供たちは海岸に仮小屋を作って、翌朝に備えてそこに泊まります。8月16日早朝、まだ暗いうちに、光照寺、霊川寺、福泉寺、宝徳寺に行き、墓前のお供え物をマコモなどにくるんで、浜辺へと運びます。そして、「おしょうろさん、こせーて、けえらっせー」と大声で叫びながら街を歩いて、大人たちを起こして回ります。
三浦半島観光地図:三浦市初声町三戸・光照寺
三浦半島観光地図:三浦市初声町三戸・霊川寺
三浦半島観光地図:三浦市初声町三戸・福泉寺
三浦半島観光地図:三浦市初声町三戸・宝徳寺
 大人たちが浜辺に集まり、竹を骨組みにして、麦わらを乗せた船を造ります。船の大きさは、全長8m、幅1m、高さ70cmくらいです。その船の上に、お精霊様、お供え物、飾り提灯を配して、読経して西方の海に流します。

 お精霊様を沖へ送った後、子供たちは海岸に戻り、毎年順番に決められた「宿」と呼ばれる家に集まります。宿には、前年の宿から順送りされた「おみひめさま」と呼ばれる木造の人形が神棚に祀られています。「おみひめさま」は、高さ約16cm、直径約3cmの丸い木の棒で、わずかにくびれていて、こけし人形のような形をしています。簡単に目、鼻、口が付けられていて、両手を前で合わせて合唱している形に彫ってあります。

 「おみひめさま」を、「たいしょう」と呼ばれる子供が着物を脱がせ、もう一人の補助役をする子供と二人でお湯の中に入れます。「おみひめさま」は「たいしょう」の手で新湯(風呂)に入れられ、新しい手拭いで洗われた後、水けをしっかりと拭き取り、新しく作られた着物を着せ、御幣(ごへい)と一緒に神棚に納められます。
 宿では、子供たちのために、五目ご飯をたくさん用意して、ふるまいます。「おみひめさま」が湯に浸かった後は、子供たちが交代でお風呂に入り、昼頃になって解散します。

写真撮影:----年--月--日

おんべ焼き

京急三崎口駅下車 徒歩25分

 1月7日(現在では1月上旬)には、おんべ焼きが行われます。おんべ焼きは、三浦半島各地の海岸沿いの街で行われています。
三浦半島観光地図:横須賀市長沢・長沢海岸
三浦半島観光地図:横須賀市野比・野比海岸
三浦半島観光地図:横須賀市久里浜・久里浜海岸

 道祖神の火祭りで、海岸に竹製の塔を造ります。そこに、子供たちが街を回って集めてきた正月のお供え物や門松などを飾り付けていきます。その後、子供たちは宿に集まって、食事をします。「おみひめさま」と呼ばれる木造の人形を、「たいしょう」が風呂に入れて、新しい着物に着せ替えます。お精霊流しの時と、同じことを行います。
 おんべ焼の準備は12月28日、生徒っ子たちが飾り付けに必要な5mの孟宗竹3本、飯森の竹林所有主に行き、竹を肩に担いで、曲がり角や細い路地を気遣いながら運びます。

 1月4日、正月に備えた供品や門松を、生徒っ子たちが町内を回って集めていきます。1月5日、大人たちが孟宗竹に飾りつけるための縄や藁を用意し、前年の御弊も合わせておんべを完成させます。1月7日早朝6時、生徒っ子たちは浜に集まり「おんべ燃やしてけいやっせ」と大声を張り上げながら海岸から町内を回ります。それを合図に大人たちは浜へ集まります。8時、生徒っ子のリーダーがおんべに点火し、御幣を掲げ持ち、約30分で燃え尽きます。それぞれの生徒っ子の母親、女性の役員などが餅を持参し、残り火で餅を焼き、家族の分や手伝いに来てくれた人たちにも配ります。

 おんべの火で餅を焼く時に「今年1年風邪をひかず、健康で過ごせる様に」と願いながら、火の後始末をして終了になります。

写真撮影:----年--月--日

サンコロ石

京急三崎口駅下車 徒歩25分

 カンコロ石、またはサンコロ石って呼ばれています。かなり大きな石で、長さ3m以上あるんじゃないかなーと思います。本当は3個あるのですが、1個は砂に埋まってることもあります。

 元々は、伊豆から、天神丸という船が積んでいた石です。江戸に台場を築くために運ばれたとする説や、江戸城築城のための石と言われているので、いずれにしても石垣を作るための石です。しかし、三戸沖で時化に遭遇し、沈没の危険から逃れるために、積んでいた石を捨てたものだと伝えられています。
 関東大震災前までは、子供たちが海に飛び込んで遊んでいたそうです。現在では完全に海面より高い場所にあるので、関東大震災によって地盤が隆起したと思われます。

写真撮影:----年--月--日

三戸浜海岸

京急三崎口駅下車 徒歩25分
三戸浜海岸
三戸浜海岸

 三戸の一番の観光名所と言えば、三戸浜海岸でしょう!
 最寄り駅の三崎口駅からも離れているし、バス停もない、車で来るしかない場所なので、観光客の数も少なくて、静かに過ごすことができる海岸です。

写真撮影:2008年10月04日

三戸浜海岸

京急三崎口駅下車 徒歩25分
三戸浜海岸
三戸浜海岸

 静かで、いい海ですねー。相模湾に面していますが、波は静かで穏やかです。海を見ているだけで、気持ちがいいですね。
 こんなに静かな海岸でも、砂浜の浸食は進んでいるんですよ。地球温暖化が影響しているのか、河川からの砂の供給が減少しているせいなのか。

写真撮影:2008年10月04日

三戸浜海岸

京急三崎口駅下車 徒歩25分
三戸浜海岸
三戸浜海岸

 三戸は広いので、海岸線も長いです。
 黒崎の鼻の方に行くと、岩礁が多くなり、住所も下宮田になります。
 反対側の漁港方面に行くと、やっぱり岩礁になります。岩礁地帯を乗り越えると、再び砂浜になっています。干潮時にしか行くことができないエリアですが、農道から下りる通路もあるみたいです。
 岩礁域に行くと、戦時中の遺跡、要塞跡などを見ることができます。本土決戦に備えて造られた地下要塞です。

写真撮影:2008年10月04日

三戸浜海岸

京急三崎口駅下車 徒歩25分
三戸浜海岸
三戸浜海岸

 温かくなってくると、レジャー客も多くなります。バーベキューやキャンプを楽しむ人も多いですね。夏になると、海水浴場になります。

写真撮影:2008年10月04日

カンコロ石

京急三崎口駅下車 徒歩25分
カンコロ石
カンコロ石

 海岸に行ったら、貝殻拾いをするというのがライフワークになっているのですが。この石は、さすがに大きすぎて拾えなかった・・・
 三戸浜海岸には、もう1ヶ所、巨石が転がっています。やっぱり3個あるのですが、露出しているのは1個です。

写真撮影:2008年10月04日

六十六部の碑

京急三崎口駅下車 徒歩25分
六十六部の碑
六十六部の碑

 三戸浜海岸へ行こうとすると目にする、ちょっと不気味な雰囲気を持った石碑。
 誰かのお墓なのだろうか、三戸浜海岸で水難事故に遭った人を供養するための石碑なのだろうか、三戸では亡くなった人を海に葬っていたのではないか。さまざまな疑問を持つかもしれません。
 その正体は、六十六部の碑です。神田と呼ばれる地域にあります。たくさんの文字が彫られていますが、「奉納大乗妙典六十六部塔」、「文化甲子年霜月魔訶日」、「経営神田五郎吉」などと彫られています。
 江戸時代に流行した信仰のひとつで、現世の罪業も前世の宿業も、すべて滅ぼすことができるという、滅罪巡礼の色彩を持った回国六十六部です。日本全国66ヶ国の神社仏閣を回って、滅罪経典の法華経を写経し、一部ずつを奉納して歩く修行の旅です。
 三浦半島にも多くの六十六部の碑があります。地蔵や庚申塔と一緒になっていることが多く、特に海岸沿いに多いようです。石碑は残っていても、石碑を建てた由来などは伝わっていません。
三浦半島観光地図:三浦市南下浦町上宮田・庚申塔、石仏
三浦半島観光地図:横須賀市長沢・庚申塔、祠、地蔵

写真撮影:2008年10月04日

三戸浜海岸入り口

京急三崎口駅下車 徒歩25分
三戸浜海岸入り口
三戸浜海岸入り口

 三戸浜海岸へと向かう小道。六十六部の石塔の脇にある小道です。
 この小道を通って三戸浜に行く人もいるかもしれませんし、不気味な石碑があって気持ち悪いから、違う場所を通って三戸浜に行く人もいるかもしれない。
 六十六部についてですが、交通の便が発達していない時代なので、66ヶ国を巡るというのはとても難しかったようです。66ヶ国を回らずに、1ヶ国内で66ヶ所の神社・仏閣を回ることもありました。大願成就によって建てられる六十六部の石碑もありますが、途中、どこかの村で死んでしまい、その村で石碑を建てて供養されるということも多かったようです。
 1804年(文化元年)12月、弘法大師を崇拝する信者で、白装束を着て、笠と杖を持ち、鈴を鳴らしながら法華経を唱え、六十六部の旅僧が三戸にやってきました。当時は旅僧や巡礼者を親切に遇する風習があったので、地元の五郎吉が宿として自宅の一室を貸すことにしました。
 五郎吉は旅僧を自宅に案内し、草鞋を与え、白衣のほころびを繕うなど、接待をしました。しかし、突然の病気で寝込んでしまい、数日後には死んでしまいました。
 その死を弔うために、海岸に装束や持ち物を産めて、石碑を建て、葬ったと伝えられています。

写真撮影:2008年10月04日

お精霊流し

京急三崎口駅下車 徒歩25分
お精霊流し
お精霊流し

 三戸で有名な、お精霊流しです。毎年、こんな感じで行われています。
 2011年、オショロ流しとして、国の重要無形民俗文化財に指定されました。三浦市内では、チャッキラコに続いて2件目の指定です。

写真撮影:----年--月--日

地層露頭

京急三崎口駅下車 徒歩25分
地層露頭
地層露頭

 三崎町小網代の横堀海岸から見た景色です。
三浦半島観光地図:三浦市三崎町小網代:横堀海岸
 非常に立派な地層露頭が観察できました。ここまでハッキリとした縞模様が観察できる露頭は、珍しいと思います。
 三浦層群三崎層になります。
 黒いスコリア質凝灰岩と、白い泥岩の互層です。
 スコリア質凝灰岩は、火山から噴出した黒色の火山灰や火山歴が降り積もって固まったものです。
 470万年前〜1000年前の地層です。
地層事典:三浦層群

写真撮影:2016年05月29日
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