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三浦市三崎町諸磯


三浦市三崎町諸磯の歴史

三浦市三崎町諸磯の歴史

   白須には、地震のたびに隆起して、大正12年の関東大震災のときにも隆起した諸磯隆起海岸があります。昭和4年3月、天然記念物に指定されました。
 諸磯貝塚遺跡から出土した土器は、諸磯式土器と呼ばれています。

 寛永10年、元禄10年、幕末、ずっと幕府領です。宝永4年〜文化8年、一部を旗本大津氏が知行し、幕府領46石余・旗本大津氏知行96石余となっていました。
 村高は、『元禄郷帳』で172石余、『天保郷帳』・『旧高旧領』で176石余となっています。 文禄3年、長谷川長綱によって検地が行われています。

 『豆相海浜浦々図』では、港内に油壺と呼ばれる入江あり、油壺の湊とも呼ばれ、船数は漁船5、船役・綱役は永1貫957文、深さ2丈、廻船200艘ほど停泊できるとあります。
 嘉永3年、船数は小漁船4、1艘につき68文余で船役永275文4分でした。
 『新編相模』によれば、江戸から18里、海上でも18里、東境を三浦往還が走り、鎮守は神明社、寺院は浄土宗光多から院。村内の小名白須はかつて三浦道寸が番所を置いた地と伝えられるが、一説には刑場とも言われています。道寸が物見をしたと伝えられる物見塚、新井城在城のころに時の鐘を置いた鐘撞坊跡があります。

 昭和39年、一部が海外町になりました。

地名の由来

   数多くの磯があることに由来します。
 南北朝時代には諸石名が見え、諸磯の誤記と考えられています。
 
  三崎町小網代 三崎町六合
  三崎町諸磯 原町
栄町
尾上町 天神町 城山町

諸磯遺跡


諸磯遺跡 諸磯のどこかにある、諸磯遺跡。一体、どこにあるのだろう?
 諸磯遺跡からの出土品です。

諸磯湾


諸磯湾 諸磯と小網代の間にある諸磯湾。
 リアス式海岸を形成し、ヨットハーバーとなっています。

地下壕・トンネル


地下壕・トンネル 良くわからない地下壕やトンネルがありました。
 太平洋戦争時に使われていた戦争遺構だと思います。

名向崎漁港


名向崎漁港 とても小さな漁港。
 名向崎にあったので名向崎漁港としましたが、実際になんて呼ばれているのかは不明です。

名向崎陸橋


陸橋 とても小さな漁港。
 名向崎にあったので名向崎漁港としましたが、実際になんて呼ばれているのかは不明です。

 
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