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横須賀市粟田史跡巡り・観光名所案内


横須賀市粟田の歴史

横須賀市粟田

 

 住宅地となっています。昭和45年、大楠山地の標高40m〜100mの南斜面に31haの団地が造成されました。
 粟田小学校は粟田と冠しますが、住所はハイランドになります。
 粟田の街には多くの鉄塔が立ち並び、多くの鉄塔を見ることができます。鉄塔マニアにはたまりませんね。粟田小学校の校歌でも「見上げる鉄塔・・・」とあるくらい、鉄塔が多く見られます。

 野比駅が開業する1963年(昭和38年)以前は、人家もないような場所でした。
 駅前から岩戸へと続く道は「粟田道」と呼ばれ、昭和の初めごろまではクネクネと曲がった見通しの悪い道で、追い剥ぎまで出てくるような恐ろしい道として知られていました。下浦方面から横須賀方面へと出る便利な道だったため、道幅3m程度の九尺道と呼ばれるほど狭くて寂しい道でしたが、牛や馬に車を引かせて通る人も多くいました。
 明治時代〜大正時代にかけては人家は1軒もなく、昭和になっても寂れていた地区ですが、「粟田千軒」という伝説があり、かつては大きな集落があったとも言われています。

 1975年(昭和50年)、横須賀市の町名となりました。もとは、横須賀市野比と岩戸の一部でした。

地名の由来

 

 大きな住宅地となっていることから、「粟田」の地名は新しい地名のように思われがちですが、かなり昔から使われてきた地名のようです。「粟田道」や「粟田街道」なんていう地名を耳にすることがあります。野比の小字名で、昔の地図を確認すると野比地区の一部に旧地名で「粟田」と書かれた場所が存在します。
 粟田という地名は現在の京都市左京区〜東山区(山城国愛宕郡)にも存在します。京都の粟田の地名の由来は、粟田氏がその土地を治めていたことから、粟田と呼ばれるようになりました。京都以外でも「粟田」という地名はいくつか存在します。苗字で粟田さんという人も存在します。
 資料が不足しているため推測でしかありませんが、横須賀市の粟田は、「粟」と「田」に分けて考えてよいと思われます。昔の主食であった「アワ」を多く作っていたため、粟田という地名になったと思われます。この周辺では「田」の付く地名が多く見受けられます。

 
  岩戸  
光の丘 粟田 ハイランド
長沢 野比

TSUTAYA


TSUTAYA ツタヤ粟田店です。
 DVD、ビデオのレンタルの他にも、CDや書籍も取り扱っています。休日には駐車場が混雑します。

 
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