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 中央公園

平和モニュメント 京急横須賀中央駅下車 徒歩12分
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中央公園
中央公園
 なぞのモニュメント。かつて、こんな形をしたルービックキューブみたいなのがありましたよね。そのパクリなのではという気が・・・
 平成4年10月に、核兵器廃絶・平和都市宣言の意思を内外に示すものとして、この平和モニュメントを建設しました。
 この平和モニュメントは、ステンレス製で、高さ約20mあります。核兵器のない平和の宿る天上界(宇宙)と、われわれ人間の住む地上とが対話できるシンボル(発信基地)として製作されました。
 このモニュメントが核廃絶で、平和、天上界、、、僕には理解不能です(^^ゞ
写真撮影:2006年12月13日

島田修二の歌碑 京急横須賀中央駅下車 徒歩12分
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中央公園
中央公園
 中央公園にいくつかある石碑のひとつです。でも、雨が降ってきたのでこれしか撮影できませんでした(T_T)
 島田修二(1928年〜2004年)は、昭和3年8月19日、神奈川県横須賀市大津町に生まれました。父は島田英之、母は島田敏子。陽一、修二、章三、迪男、嘉寿江の四男一女の次男でした。
 兄の陽一は海軍士官として戦没しました。修二も旧制横須賀中学校を経て海軍兵学校に進み、そこで終戦を迎えました。その後は、読売新聞記者を経て、短歌の道に精進し、宮中の歌会始選者等を勤めるまでに至りました。
 修二は、平成16年1月、この丘に来て、ふるさとの横須賀の歴史と未来を思い、世界の平和を思い、ひとりの、そしてすべての人のいのちの重みを思って、この歌を詠みました。

 「横須賀の、丘に吹く風、いちにんの、いのちの重み、世界に告げよ」

三浦半島の歴史:横須賀市大津町・史跡巡り観光名所案内
写真撮影:2006年12月13日

中央公園 京急横須賀中央駅下車 徒歩12分
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中央公園
中央公園
 これがかつての砲台跡の遺跡でしょうか。中央公園にはホームレスの方がお住まいになっているようで、なかなか自由に撮影できませんでした(^^ゞ
 明治初年以来、横須賀は海軍港を中心に発展してきました。一方で、陸軍は首都東京を中心とする東京湾一帯の防衛上から、明治13年に第一号の砲台を横須賀市内の観音崎に構築しました。それ以来、三浦半島に28ヶ所の砲台を築きました。
 中央公園もそれらの砲台のひとつで、明治24年から第二次世界大戦終結までの55年間、「米ガ浜演習砲台」となっていました。
 これらの砲台は終戦と共に取り壊されていきました。そのような状況下で、中央公園は砲台のあった当時の地形をそのままたくみに利用し、変化に満ちた散歩道や展望広場などを整備しました。
写真撮影:2006年12月13日

中央公園 京急横須賀中央駅下車 徒歩12分
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中央公園
中央公園
 ここもかつての砲台跡の遺構だと思います。
 優れた景観を一望することのできる中央公園は、文化会館建設事業の一環として、昭和39年から5年半の歳月と、5000万円の経費を投じて、昭和45年4月1日に開園しました。
 公園の広さは約3.8ヘクタールで、サクラ、ウメ、カンツバキ、ジンチョウゲ、ツツジ、サツキ、サザンカなど1万本近い四季折々の花木が植えられています。
 中央公園の東端に建つコンクリート製の塔は、戦没者慰霊塔です。船のへさきをかたどってあり、高さは8.7m、長さ31mもあります。この塔は、明治27年の日清戦争から昭和20年の第二次世界大戦終結までの横須賀市内戦没者約4700柱の霊を慰めるために建てられたものです。塔内には、第二次世界大戦中の戦没者約4000柱の写真や戒名札と、戦場となった外地から採集した土砂が収められています。
 毎年8月15日、横須賀市主催の「横須賀市戦没者追悼式」が行われています。

三浦半島の歴史:横須賀市深田台・横須賀文化会館
写真撮影:2006年12月13日
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