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海軍下士官兵集会所


海軍下士官兵集会所

京急汐入駅下車 徒歩1分
地図

 1902年(明治35年)、海軍下士官兵集会所として建てられました。食堂や売店などがあり、海軍の下士官と兵たちのために憩いの場として使われていました。
 士官たちは水交社を利用しましたが、下士官兵には利用できる施設がなかったので作られました。階級としては、曹長、軍曹、伍長、兵長、上等兵、一等兵、二等兵になります。

 1923年(大正12年)、関東大震災後によって被災したため改築されました。古写真から確認すると、地震に強い頑丈な建物にしたようです。
三浦半島観光地図:1923年・関東大震災
 1938年(昭和13年)5月、新しく建て替えられました。
 左側が宿舎、浴室、食堂、売店などがありました。右側は1階部分に相撲場、柔剣道場、2階と3階は劇場になっており、多くの軍人やその家族の利用で賑わいました。

 1945年(昭和20年)、太平洋戦争の終結によってアメリカ軍に接収され、アメリカ軍施設となりました。
 向かって右側の建物は取り壊され、中央のタワー部分と左側だけが利用されました。1500人収容のホールがあり、フランク・シナトラやディーン・マーチンらが舞台に立ちました。また、4階建ての建屋にはボーリング場やディスコなどが入っていました。

 1983年(昭和58年)、アメリカ軍に接収されていたEMクラブはに日本に返還されました。1990年(平成2年)には「さよならEMクラブ記念式典」が行われ解体されました。
 跡地に建設されたのが横須賀芸術劇場を含む「ベイスクエアよこすか」となりました。
 横須賀芸術劇場では毎年夏に、当時を偲ぶヨコスカ・ジャズ・ドリームスが開催されています。最近では、横須賀が日本のカントリーミュージックの発祥地としても名乗りを上げています。
 海軍カレーに、ジャズに、カントリーミュージックなど、現在の横須賀の文化に多大な影響を与えた施設と言えます。
 現在のベイスクエアよこすかは、海軍下士官兵集会所として建てられた建物を元にデザインされて作られました。
三浦半島観光地図:横須賀市本町・ベイスクエアよこすか


EMクラブ

京急汐入駅下車 徒歩1分
EMクラブ
EMクラブ

 ベイスクエアよこすかが建つ前にあった建物、EMクラブです。右側半分は、アメリカ軍の施設となった時に取り壊され、左側半分だけが使われていました。
 左側は1990年(平成2年)まで建っていたので、記憶に残っている人も多いのではないでしょうか?私はまだ子供だったので、「アメリカのお化け屋敷」だと思っていました(^^;)

写真撮影:----年--月--日

海軍下士官兵集会所

京急汐入駅下車 徒歩1分
海軍下士官兵集会所
海軍下士官兵集会所

 1940年(昭和15年)1月27日頃に撮影された、海軍下士官兵集会所です。
 横須賀市では「戦後日本のジャズ発祥の地」をうたっています。だけど、あまりうまくいかなかったみたいです。
 ジャズ発祥の地を名乗る街は、横須賀以外にも神戸、横浜、大阪など全国にいくつかあります。理由はそれぞれあります。横須賀市の場合、EMクラブの建物があり、終戦直後に本場アメリカのジャズ音楽に接する機会のある貴重な場所だったことによります。

写真撮影:----年--月--日

EMクラブ

京急汐入駅下車 徒歩1分
EMクラブ
EMクラブ

 昭和20年頃のアメリカ兵が群がるEMクラブの様子。
 終戦直後、ルイ・アームストロングなど世界的に有名なエンターテイナーがたびたび演奏活動で横須賀を訪れました。ジョージ川口、原信夫、松本英彦、安田伸、江利チエミなど、後年、日本を代表するジャズミュージシャンが盛んにEMクラブのステージを目指し、腕を磨きました。
 EMクラブは、戦後の厳しい時代に耳の肥えた観客と、一流のエンターテイナーが集まる数少ない場所でした。こうした歴史的背景から、横須賀がジャズの原点であるとうたっている根拠になります。

写真撮影:----年--月--日

EMクラブ

京急汐入駅下車 徒歩1分
EMクラブ
EMクラブ

 この写真がEMクラブ入り口になります。
 この写真をもとにして軍港巡りターミナルの入り口がデザインされました。
 軍港巡りターミナルには、EMクラブで使われていたシャンデリアもあります。
三浦半島観光地図:横須賀市本町・YOKOSUKA軍港めぐり

写真撮影:----年--月--日

旧海軍下士官兵集会所跡

京急汐入駅下車 徒歩1分
旧海軍下士官兵集会所跡
旧海軍下士官兵集会所跡

 この石碑の場所、見つけるのは難しいですね。買い物やレジャーに利用するばかりだと思いますが、もともとは海軍下士官兵集会所でした。
 場所は駐輪禁止の駐輪場のあるところにたっています。カラーコーンが立っていますが、ここには自転車を駐輪させないためと、用を足さないためということなのでしょうか。

写真撮影:2007年05月21日

旧海軍下士官兵集会所跡

京急汐入駅下車 徒歩1分
旧海軍下士官兵集会所跡
旧海軍下士官兵集会所跡

 数年前に訪れた時には良い写真が撮れなかったので、リベンジのつもりで再び訪れました。
 その結果が、こちらになります。
 う〜ん、やっぱり良い写真が撮れません(^_^;)
 だってー、石碑の周りが汚いんだもーん。

写真撮影:2016年06月21日

旧海軍下士官兵集会所跡

京急汐入駅下車 徒歩1分
旧海軍下士官兵集会所跡
旧海軍下士官兵集会所跡

 工夫して取ってみたけど、これが限界でした。
 この日は雨が降っていたので、駐車してあるバイクの数も少なかったから、もっとスッキリした写真が撮れるはずだったんですが・・・
 やっぱり、石碑の周囲が汚いんだも〜ん(^_^;)
 観光で訪れる人もいない場所だから、しょうがないのかなー。

写真撮影:2016年06月21日

水田と西洋館

京急汐入駅下車 徒歩1分
水田と西洋館
水田と西洋館

 ベイスクエアよこすかが建つ前、EMクラブも、下士官兵集会所も建つ前の様子です。
 1864年(元治元年)、江戸幕府が横須賀を造船所設立場所と定めました。フランス人技師たちを招き、その指導によって製鉄所の建設が始まりました。
三浦半島観光地図:横須賀市楠が浦・横須賀海軍工廠
 写真の奥の方に洋館が建っているのが見えるので、そこがフランス人技師たちの宿舎となっていました。洋館の建つ場所は、現在の横須賀幼稚園のあたりになるのかな?
 手前には汐留新田の一部が写っており、ここが現在の「ベイスクエアよこすか」になります。萱葺き屋根の民家も見えます。
 この写真は横須賀村汐留から、元町方面にカメラを向けて撮影した写真です。
三浦半島観光地図:横須賀市本町・明治天皇行在所跡

写真撮影:----年--月--日
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