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西脇順三郎文学碑


西脇順三郎文学碑

バス停観音崎下車 徒歩7分
地図
西脇順三郎文学碑
西脇順三郎文学碑

 おもむろにあらわれたる石碑。こんなところに不釣合いな石碑だなーなんて思いつつ確認してみたら、西脇順三郎の文学碑でした。
 西脇順三郎と観音崎、そんなに密接な結び付きや由縁があったのかな?1994年(平成6年)に建立された文学碑です。
 詩集『近代の寓話』に収められている『燈台へ行く道』です。1949年(昭和24年)、子息の順一氏の遠足に同行して以来、何度か観音崎を訪れています。

 燈台へ行く道 

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのって
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいったことを
考えながら歩いた

三浦半島観光地図:横須賀市鴨居・観音崎灯台
写真撮影:2008年08月15日

西脇順三郎文学碑

バス停観音崎下車 徒歩7分
西脇順三郎文学碑
西脇順三郎文学碑

 文学碑を正面から大きく写真を撮りたかったんだけど、光の具合で、自分の影が思いっ切り入ってしまうため。こんな感じの撮影が限界でした。
 ピカピカと光沢のある石碑は、自分自身の影が映りこんでしまうので、写真を撮るのが難しいですね。
 西脇順三郎は、1894年(明治27年)1月、新潟県小千谷市で生まれました。少年時代から絵が好きで、将来は画家になることを目指し、17歳で中学を卒業すると、上京して藤島武二や黒田清輝らを訪ねます。
 しかし、父親の急死などの事情で画家への道を断念し、慶應義塾大学へと進学しました。さらにオックスフォード大学へ留学しました。留学中には再び絵筆を握る傍ら、1925年(大正14年)、英文詩集『Spectrum』を刊行しました。
 慶應義塾大学文学部教授に就任し、新しいヨーロッパ文学の豊富な知識を背景に、『三田文学』や『詩と詩論』を通じて、目覚ましい批判活動を展開しました。終世に渡って「眼の詩人」、「視覚の詩人」と呼ばれましたが、その根底には少年時代に目指していた画家への夢がありました。

写真撮影:2008年08月15日

西脇順三郎文学碑

バス停観音崎下車 徒歩7分
西脇順三郎文学碑
西脇順三郎文学碑

 西脇順三郎の文学碑の解説です。横須賀市では1982年(昭和57年)、市制執行75周年を迎え、「文化の元年」宣言を行い、文学碑の建立を行いました。地元横須賀に関連した文学作品から、作品にゆかりの深い場所に文学碑を建立しました。1983年(昭和58年)〜1994年(平成6年)まで、12基の文学碑を建立しています。
 1947年(昭和22年)、自分の内面に潜むもう一人の人間を「幻影の人」と名付け、『旅人かへらず』と、詩集『近代の寓話』、『第三の神話』の中で追及し、西洋的教養と日本的感性を融合させた独自の詩風を築き上げました。
 1960年代に入ると、プルーストやジョイスの手法を駆使した長編詩集『失われた時』、『豊穣の女神』、『えてるにたす』など、一連の詩集によって詩風は頂点に達し、ノーベル文学賞の候補にもなりました。
 70歳代になっても創作力は衰えず、旺盛な想像力は『礼記』、『壌歌』、『鹿門』などの詩集を作ります。80歳代には、詩集『人類』、『底本西脇順三郎全詩集』が観光されます。
 1982年(昭和57年)6月、88歳で亡くなりました。

写真撮影:2008年08月15日
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