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1532年(享禄4年)、千葉介常胤(源頼朝挙兵時に千葉から懸け付けた武士)の末流、臼井惣衛門の弟にあたる臼井惣左衛門がこの地に移り住み、鎌倉の若宮神社を勧請して「若宮権現」を祭ったと伝えられています。
どうやら、宗円寺、若宮神社あたりは、臼井惣左衛門の居住地だったようです。
久比里地区の氏神様となっています。祭神は仁徳天皇のようです。応神天皇と混同されているような気もする・・・
三浦半島の歴史:人物事典・千葉介常胤 |
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ここの祭礼は、なぜか雨天になることで知られている「下駄祭り」が行われます。
境内には日露戦争当時、旅順口の閉塞船弥彦丸に積まれていた石が台座として使用されています。
社務所には勝海舟が書いたとされる篇額があります。勝海舟自筆の「大のぼり」もあったそうですが、戦後のどさくさに紛れて紛失してしまいました。海軍通信学校(現在の陸上自衛隊久里浜駐屯地)との関連があったのかとも思いましたが、通信学校ができたのは昭和13年になるので、勝海舟はすでに亡くなっています。勝海舟とこの神社とにどのような関係があったのかはわかりません。
三浦半島の歴史:人物事典・勝海舟 |
若宮神社旧鳥居柱と篇額 |
京急久里浜駅下車 徒歩10分
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宝暦7年3月に建立された鳥居ですが、230年の歳月で風化してしまい、柱が折損して倒壊の恐れもあったことから、社殿再建の際に建て替えました。
旧鳥居の柱の一部と、社号の刻まれた篇額になります。勝海舟が書いた篇額とは別の物だと思います。「若宮大神」か、「若宮明神」と刻まれているような気がします。
慶長16年、寛永6年、正保2年、明治7年、大正4年、昭和60年にも、増改築が行われています。現在はとても綺麗な神社ですね。 |
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若宮神社の境内の中でも、特に目立つ存在の大きな大きなイチョウの木。何年ものなのでしょうか。
このイチョウの木は、どうやらメス株のようです。熟しきっていないギンナンの実がたくさんなっていました。収穫の季節になれば、強い風の吹いた翌日などはギンナン拾いが出来ると思います。
身近な植物図鑑:イチョウ(銀杏) |
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若宮神社と一緒に合祀されている八雲神社です。
おそらくはスサノオを祭ってある神社だと思います。建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊(すさのおのみこと)とも書かれたりします。
明治時代になって、近くにあった小さな社をここ一箇所に集めたのかもしれません。石製の祠がたくさん建ち並んでいました。 |
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なぜか大きな砲弾が祭られていました。
なぜか勝海舟との関わりがあったり、日露戦争の旅順攻略との関わりがあったりと、ちょっと謎めいた感じのする神社です。近くに陸上自衛隊駐屯地があり、かつては海軍通信学校だったためかもしれません。
なにも書かれていなかったため、どのような意味があるのかわかりませんでした。わかり次第、記載していく予定です。
三浦半島の歴史:1904年・日露戦争 |
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