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1853年(嘉永6年)7月8日、アメリカの東印度艦隊司令官ペリーが、初めて久里浜に上陸しました。そのときの艦隊は、旗艦ミシシッピー号の他、蒸気船2隻、帆船2隻の計4隻の黒船が、浦賀の鳥ヶ崎から灯明堂にかけて停泊しました。
浦賀奉行所は、江戸幕府と密接な連絡を取りながら、奉行所の配下で与力の香山栄左衛門に命じて折衝にあたらせました。香山は、通訳、堀辰之助、立石得十郎を従えて艦に赴き、同年7月14日に久里浜海岸で、米大統領の国書を浦賀奉行戸田伊豆守が受理しました。
公園内に、ペリー記念館があり、黒船の模型などが展示されています。外見は公衆便所っぽいのですが、記念館です。
ペリー来航時のいろいろな話が残っており、メリケン粉をもらって漆喰だと思って使ったが固まらず海に捨てたとか、固形石鹸をようかんだと思いかじって泡を吐き出し始末に困って土に埋めたとか、ペリーと会見する際イスがないので僧が法式などに用いるキョクロクを寺から持ち出して使ったとか、握手を求められて持っていた扇子を差し出したとか、ペリー来航を知らせる号砲を浦賀から2発撃ったら住民は戦争が始まったと勘違いし仏壇を背負って裏山に逃げたとか・・・
地元では、『ペリー』よりも、『ペルリ』と呼ぶことの方が多いです。 |
ペリー上陸記念碑 |
バス停ペリー記念碑下車 徒歩1分
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記念碑は1901年(明治33年)、ペリー来航時に少尉候補生として同行していたビアズリー米退役海軍少将が再来日したときの希望で、金子堅太郎ら米友協会が中心となって建設されました。久里浜の小川伝七のたっての希望により、ペリーが上陸したこの地に決まりました。
碑には、「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑 大勲位侯爵 伊藤博文」と書かれています。高さ10m、根府川石で造られ、1901年(明治34年)7月14日に除幕式が行われました。
太平洋戦争中、敵国のものだということで地元の翼賛壮年団により壊され、代わりに「護国精神振起之碑」が建てられました。戦争が終わると、11月にあわてて復元しました。 |
ペリー自筆の手紙 |
バス停ペリー記念碑下車 徒歩1分
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これがペリー提督が江戸幕府へ渡した国書ではありませんよ。ペリー提督自筆の、娘のイザベルに宛てた手紙です。
1843年9月6日に書かれた手紙です。
何が書かれているかについては、プライバシーの侵害になるので秘密にしておきましょう。っていうより、英語は読めません(^^ゞ。日本語ですらかなり怪しいっていうのに・・・
三浦半島の歴史:横須賀市深田台・横須賀市自然人文博物館 |
| 撮影:2006年12月13日 |
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ペリー艦隊から贈られたナベです。
黒船来航時、飲料水の世話をしたので、お礼として西浦賀の宮井家に贈られました。
150年もたっているのに、錆もなく保存状態がとても良いですね。黒船では、この鍋を使って何を作っていたのか気になりますね。
三浦半島の歴史:横須賀市深田台・横須賀市自然人文博物館 |
| 撮影:2006年12月13日 |
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久里浜上陸の様子 |
バス停ペリー記念碑下車 徒歩1分
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1855年に刊行された、ヴィルヘルム・ハイネによる久里浜上陸の様子です。
美術館ではないので大きな絵ではないんですが、ハイネの描写力はまさに驚きです。写真を撮影したんじゃないのかって思うくらい、細部まで正確に描かれています。
日本人の船や服装もそうですが、山の植物や、家並みまでが描かれています。あまりの素晴らしさに、かなり長い時間見つめ続けてしまいました。
三浦半島の歴史:横須賀市深田台・横須賀市自然人文博物館 |
| 撮影:2006年12月13日 |
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