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山号は明星山、宗派は浄土宗、鎌倉名越の安養院末寺、本尊は阿弥陀三尊、開山は鎌倉時代安養院第15世の昌誉、創建は1527年(大永7年)昌誉能公によってなされました。
三浦三十三番札所の第十六番札所で、三浦観音第十二番の千手観音(像高35.5cm、銅造)も祀り、三浦地蔵第七番の半跏像も祀っています。特に半跏像は三浦半島では最大で、室町時代〜江戸時代にかけての作と考えられています。
墓地には、尻こすり坂(しっこすりざか)の開削に貢献した、俳人で画家の長島尚賢(雪操)の墓があるらしいのですが、見付かりませんでした。
『のびすぎて はちりくりはま みでらまで まいりておがむ せんじゅかんのん』 |
| 撮影:2006年04月08日 |
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ちょうどリフォーム工事中だったため、こちらにまとめて移動させられたという雰囲気のある石仏たちです。それほど霊感があるというわけではありませんが、なぜか霊の存在を感じるお寺でもありました。ご供養せずにリフォーム工事を始めてしまったのでしょうか。
墓石なのでしょうか、それとも奉納された石仏なのでしょうか。無縁仏風のものもありました。昔の墓石には仏が彫られているのかな?
境内にはこの他に、慰霊碑、長島尚賢(雪操)の墓、蒸気船の碑があるのですが、重苦しい空気が漂っていたため、早々に退散してしまいました(^^ゞ
後日、機会があれば、ゆっくり探してみようかと思います。 |
| 撮影:2006年04月08日 |
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ただいま、リフォーム工事中で〜す。参拝のタイミングが悪かったみたいです。
この地蔵堂には、三浦半島でもっとも大きな地蔵菩薩が祀られています。しかし、残念ながら胎内銘がありません。
飛井の薬師堂の薬師如来も祀られているそうです。でも、飛井の薬師堂ってどこのことだろう? |
| 撮影:2006年04月08日 |
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慰霊碑なんですが、なんの慰霊碑だったのか忘れちゃった(^^ゞ |
| 撮影:2006年04月08日 |
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埋蔵金伝説 |
バス停久里浜港下車 徒歩3分
伝副寺境内  |
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1936年(昭和11年)、蒸気船早丸(はやまる)の遺族が建立した碑があります。小さな石碑なので、気が付かないかもしれません。
1869年(明治2年)年の夜半、嵐に乗じて密かに横浜港を出港した船がありました。目的地は上海。乗組員は外国人を含め約80人。船が久里浜沖の海鹿島(あしかじま、昔はアシカが住んでいました)にさしかかったとき、暗礁に乗り上げ沈没してしまいました。
船倉には、当時の国際的通貨であったメキシコ銀が6万ドル、伊予別子銅山産のなまこ銅140万匁、青銅器40万匁、その他毛織物、生糸、小銃弾薬、仙台藩の53万両、越後藩の黄金の灯籠、幕府御用金400万両などが隠されていたといいます。
その後、「浜には生糸が流れ着いた」とか、「海鹿島の南側は、確かに船のようなものが沈んでいて、今でも網がよく引っかかる」という漁師たちの伝聞を手がかりに、多くの人が埋蔵金伝説の夢を追いました。
しかし、未だに決定的な遺物は発見されていません。 |
| 撮影:2006年04月08日 |
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ムクノキ製の丸木舟 |
バス停久里浜港下車 徒歩3分
横須賀市自然・人文博物館展示品  |
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縄文時代(約5000年前)の丸木舟で、材はムクノキを使っています。
伝福寺裏遺跡から、多くの植物化石(材、根、果実、種子などの化石)と共に出土しました。
資料によると、裏側には、伝福寺裏遺跡があり、1981年(昭和56年)の調査で、地下4mの砂地から縄文時代前期〜中期のものとみられるムクノキ製の丸木船が見付かっていますとあります。そのほか、縄文土器・石器・鹿角製釣針も見付かっています。でも、伝福寺の裏手は道路なので、どこに遺跡があったのか確認できませんでした。
三浦半島の歴史:横須賀市深田台・横須賀市自然人文博物館 |
| 撮影:2006年12月13日 |
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