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曹洞宗のお寺で、龍谷山良長院といいます。元は米軍基地内の泊浦(現在の泊町)にありました。
本尊は釈迦三尊像で、開山堂にあります。横須賀市内唯一の鉄製の鉄仏です。
瀬尾重兵衛良長が創建したことにより、その名前から良長院となりました。
瀬尾重兵衛良長は、泊町の長峯城城主でした。どの戦で亡くなったのかわかっていませんが、没年は1253年(建長5年)と記されています。
三浦半島の歴史:横須賀市泊町の史跡巡り・観光案内 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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出世閻魔堂 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
良長院  |
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本堂の脇に小さくたっているのが、出世閻魔堂です。中には閻魔様が鎮座ましましています。脇には石塔が所狭しと並べられています。
その後、寺は次第に荒れ果てていきましたが、徳川家康の信認の厚かった長谷川七左衛門長綱が三浦郡の総代官となりました。前任地だった駿河の之原臨乎僧正を開山として、現在地に興廃して建っていた祇園寺を廃して、良長院を再建しました。
しかし元源は、長谷川長綱の守護神十一面観音を祭る寺を、故郷のように富士山の見える地に建てたいと徳川家康に願い出て、逗子の沼間に海宝院を立てました。
三浦半島の歴史:人物事典・徳川家康
三浦半島の歴史:人物事典・長谷川長綱
三浦半島の歴史:逗子市・海宝寺
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| 撮影:2006年12月05日 |
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閻魔大王 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
出世閻魔堂  |
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たまたまなのか、いつもなのかわかりませんが、閻魔様が公開されていました。鋭い眼光で睨む閻魔様の前では、ウソを付くと舌を抜かれてしまうので、なんだかドキドキしてしまいます。
許可をいただき、写真を撮影させてもらいました。
閻魔様の日には、地獄の釜の蓋が開くといわれており、大変な賑わいを見せるとか。
植物の中には、地獄の釜の蓋との別名を持つキランソウという野草があります。
身近な植物図鑑:キランソウ(金瘡子草)
身近な植物図鑑:キランソウ(金瘡子草) |
| 撮影:2006年12月05日 |
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殉職者弔魂碑 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
良長院  |
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横須賀海軍建築部請負工事、殉職者弔魂碑と書かれていました。横須賀製鉄所で殉職した人々のために建てられた石碑のようです。こちらのお寺には、このような石碑がいくつかありました。
良長寺は、正保年間(1644年〜1648年)に、呑高和尚という僧侶が寺を建て、良長院の寺名を復活させました。
境内には、横須賀の発展に努めた坂東善兵衛や、元横須賀市長の三上文太郎、岡本傳之助のお墓があります。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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戦病死者之霊 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
良長院  |
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横須賀鎮守府、戦病死者之霊と書かれているので、戦争で亡くなった人たちのために建てられた石碑ではないでしょうか。
このすぐ隣には、三界萬霊等、無縁仏と書かれた石碑がありました。
三界とは欲界・色界・無色界のことをいいます。、俗界は、食欲・性欲・睡眠欲をいい、色界は食欲よりも性欲の強いこと、無色界は性欲のない心の世界のことをいいます。萬霊とは、欲、色、無色界の有情無情の精霊などのあらゆる世界をさし、全ての生物の生々流転してやむことのない世界のことをあらわします。その全ての世界の精霊を集めて供養するのが、この三界萬霊等です。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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大乗経典一字一石塔 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
良長院  |
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なんとなく気になったので写真を撮りました。
一字一石塔って聞きなれない言葉かもしれませんが、小さな石1個に1文字ずつ、大乗経典を彫ります。だいたい7万個くらいになるそうです。
ここに一字一石塔が建っているということは、この下に7万個ほどの文字を刻んだ小さな石があるということになります。
旅行に行ったりすると、記念に小石を拾ってきたりして集めたりする人もいますが、小石によっては、人の願いや気持ちなどが込められた小石だったりすることもありますので、むやみに持ち帰らない方が良いのではないかなーと思います。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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境内にある石塔を見ると、かつて良長院の建っていた泊浦の地名、「泊」の字が刻まれています。
史跡巡りに行った時、そこまで知らなかったので確認できませんでした。江戸時代の石塔などがあったのは確認できました。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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