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西浦賀


横須賀市西浦賀の歴史

西浦賀の地名の由来

 

西浦賀の町並み 1692年(元禄5年)、浦賀村が東西に分村して誕生しました。幕府領となっていました。
 西浦賀内の旧地名は、田中町、紺屋町、蛇畠町、浜町、川間町、宮下町、高坂町、吉井町があります。町名変更が繰り返された地区なので、複雑に入り組んでいます。とても面積の広いのも特徴です。
 1978年(昭和53年)、一部が浦賀丘になりました。1981年(昭和56年)、一部が南浦賀、久里浜台になりました。
 現在でも古い町並みが残る西浦賀。浦賀湾を挟んで、西側が西浦賀、東側が東浦賀になります。南浦賀はありますが、北浦賀はありません。
 観光地化されていませんが、三浦半島でも古くから栄えた街のため数多くの史跡が残ります。江戸時代以降のものが中心になります。一時的ではありますが、浦賀奉行所が置かれていました。

江戸時代の西浦賀

   1692年(元禄5年)、浦賀村が東西に分村して誕生しました。幕府領となっていました。
 1630年(寛永7年)、幕府領走水奉行の支配地となっていましたが、1720年(享保5年)から幕府領浦賀奉行所支配となりました。村高は、『元禄郷帳』では636石余、『天保郷帳』では685石余、『旧高旧領』では745石余で東福寺領2石が含まれます。(天正19年)の徳川家康寄進状写によると「東福寺 相模国三浦郡 浦賀之郷内 弐石之事」とあります。
 東浦賀村とともに浦賀湊と呼ばれ、『豆相海浜浦々図』では、湊口横幅平均2町余、奥行20町余、深さ5丈余、中ほど4丈程で廻船800艘〜1000艘が停泊できるとあります。
 押送船3艘、五大力船7艘、猟船14艘の計24艘を所有し、船年貢永7貫800文、吉井山御林下草銭永660文、磯根鮑栄螺運上永333文4分、御菜御肴、御陣屋山松木林の松38本雑木3本、吉井山御林松木53本を納めていました。
 1674年(延宝2年)、江戸本材木町新肴場の附浦となり、漁獲物はすべて新肴場へ送ることとされました。

浦賀奉行所

   1720年(享保5年)、下田奉行所を廃止し、浦賀番所が置かれ、初代奉行として堀隠岐守が浦賀奉行に任命されました。これにともなって港近くに番所、高札場、船屋、奉行役所、与力同心屋敷、蔵、廻船問屋会所などが設置されました。初代堀隠岐守利寿以来、1688年(元禄元年)の土方出雲守勝敬まで52名が任命されました。海上往来船舶とその貨物の検査、民政、海岸防備の任に当たりました。
 1720年(享保5年)の浦賀番所の設置に当たって、東浦賀の干鰯問屋の反対によって番所は西浦賀に建てられましたが、これ以降、東浦賀の繁栄は西浦賀に奪われる形となりました。

神社や寺院

 

 『新編相模』によれば、江戸から17里、東西7町余、南北22町余、戸数578軒、総鎮守は叶明神社です。
 (養和元年)、文覚が源氏繁栄の祈祷として石清水八幡宮を勧請したことに始まります。「叶」としたのは、源頼朝がその願いを成就したことによります。
 寺院には曹洞宗東福寺のほか、浄土宗常福寺・寿光院、日蓮宗顕正寺などがあります。
 小名陣屋山の下には、代官長谷川長綱が居住した陣屋跡があります。

西浦賀分郷

   地内の西浦賀分郷では、『新編相模』によれば1811年(文化8年)、平根山御台場設置に際して西浦賀から分村しました。家数108軒でした。
 1811年(文化8年)、大筒台場、船見番所が建設され、大銃6丁が常置されました。
 燈明堂があり、費用は干鰯問屋に課せられていました。
 安房口明神社、貴船社、神明社、浄土宗宗円寺、浄土真宗法善寺などがあります。
 1868年(明治元年)、神奈川府を経て神奈川県に所属しました。1870年(明治3年)、浦賀村の一部となりました。
 
浦賀丘 浦賀町 東浦賀
吉井
若宮台 西浦賀  
光風台
南浦賀 久里浜台 長瀬
久比里

浦賀奉行所


浦賀奉行所 浦賀奉行所跡と、番所跡です。跡といっても、ほとんど跡形もなくなってしまいました。
 もし残っていれば、日本でも有数の観光名所になったかもしれないのに残念ですねー。

灯明堂


灯明堂 西浦賀の岬の先端にある灯明堂です。近くに処刑場跡と呼ばれる場所があります。
 灯明堂は復元されたものです。

高坂貝塚


高坂貝塚 西浦賀の高坂小学校のすぐ近くにある貝塚、高坂貝塚です。
 貝塚からの出土品を掲載しています。

西叶神社


西叶神社 西浦賀の鎮守、西叶神社。正式名称は叶神社です。
 後藤利兵衛義光の立派な彫刻があります。

ええじゃないか


ええじゃないか 幕末に起きた民衆による世直し運動。
 三浦半島では浦賀が発端で広がりました。江戸から明治へと時代が変わる時、民衆も世直しを期待していました。

東福寺


東福寺 浦賀奉行が就任すると必ず参拝した、東福寺。
 酒井抱一の亀の大絵馬があります。三浦三十三観音の十三番札所、三浦地蔵尊代三十三番札所です。

廻船問屋跡


廻船問屋跡 港町の浦賀では、海岸沿いに廻船問屋が並んでいました。
 とても栄えていた港町です。

浦賀の渡し


浦賀の渡し 浦賀のシンボルとなっている、浦賀の渡し。
 西浦賀と東浦賀を結んでいます。のんびりと、浦賀港のクルージングを楽しんでください。

関東大震災の慰霊塔


関東大震災の慰霊塔 関東大震災の慰霊碑です。
 愛宕山で土砂崩れが発生し、多くの人が生き埋めになってしまいました。

浦賀港交番


浦賀港交番 神奈川県警浦賀警察署の交番。
 浦賀の渡しのすぐ隣にある小さな交番です。

南消防署浦賀出張所


浦賀港交番 南消防署の浦賀出張所と、消防団第15分団があります。
 スノーケル車やポンプ車が配備されています。

浦賀港


浦賀港 砂利を運搬するガット船が多く停泊しています。
 太平洋戦争での引き揚げ者が上陸した陸軍桟橋、浦賀奉行所番所跡があります。

よこすか浦賀病院


よこすか浦賀病院 地元でも歴史のある病院です。
 浦賀ドックで働く従業員や家族の治療を目的に作られた診療所から、100年以上の歴史を持ちます。

西浦賀海岸公園


よこすか浦賀病院 遊具が設置されていない広々とした公園。
 為朝神社で虎踊りが行われるとき、臨時駐車場になります。

浦賀奉行所跡の写真


浦賀奉行所跡の写真 現在の浦賀奉行所跡の写真です。
 浦賀ドックの住友重機械工業の社宅になっていましたが、現在は使われていません。

大六天榊神社


大六天榊神社 西浦賀の川間地区の氏神様です。
 正式名称は榊神社大禄天神といいます。小さいながらも立派な神社です。

寿光院


寿光院 西浦賀の川間地区の氏神様です。
 正式名称は榊神社大禄天神といいます。小さいながらも立派な神社です。

為朝神社


為朝神社 源為朝を祭っている神社です。
 祭礼の時、虎踊りが奉納される神社でもあります。

蛇畠町内会館


蛇畠町内会館 蛇畠地区の町内会館です。
 現在は新しい町内会館に建て替えられました。

愛宕山公園


愛宕山公園 横須賀市内で一番古い公園、愛宕山公園です。
 中島三郎助の招魂碑があります。

風景と景色


愛宕山公園 西浦賀地区で撮影した景色や風景の写真です。
 古い建物が多いので、写真を撮るのが楽しいです。

 
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