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関東大震災の慰霊塔


関東大震災の慰霊塔

バス停紺屋町下車 徒歩3分
地図
関東大震災の慰霊塔
関東大震災の慰霊塔

 以前から気になっていました、関東大震災の慰霊塔。やっぱり、三浦半島の住民感覚からすると、関東大震災関連のものはとても気になります。
 海沿いの場所に建つ慰霊塔ですが、津波被害による慰霊塔ではなく、土砂崩れ被害による慰霊塔です。
 現在は愛宕山公園になっている愛宕山が、関東大震災によって崩れてしまいました。その時の土砂によって生き埋めになってしまった人々の慰霊塔です。
三浦半島観光地図:1923年・関東大震災

写真撮影:2009年04月13日

関東大震災の慰霊塔

バス停紺屋町下車 徒歩3分
関東大震災の慰霊塔
関東大震災の慰霊塔

 大正12年9月1日
 関東大震災慰霊塔
 再建者 野澤恒良
 終戦後に撤去されていましたが、1972年(昭和47年)に再建したものです。なんで撤去しちゃったんだろう?
 関東大震災による被害は、三浦半島に壊滅的な被害を与えました。浦賀地区では、家屋の8割は倒壊、または半壊の被害を受けました。
 現在でも残っている古い住宅を見ればわかる通り、蔵造りの堅牢な家や、古い大きな家は残っているので、そういった家以外はほとんど潰れてしまったんだと考えられます。

写真撮影:2009年04月13日

関東大震災の慰霊塔

バス停紺屋町下車 徒歩3分
関東大震災の慰霊塔
関東大震災の慰霊塔

 大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、関東地方に大地震が発生しました。昼食時と重なって東京や横浜では大火災となり、多くの人命と家屋が失われました。
 ここ浦賀でもがけ崩れや火災などにより大きな被害を受けました。特に西浦賀では愛宕山が崩れ、家屋74戸と100人ほどの人が埋まってしまいました。ドック原(浦賀生協あたり)でも山が崩れ、通行中の7人が生き埋めとなり、浦賀町だけでも202人の生命が失われました。
 戦後、この塔は震災と海難の犠牲者慰霊のため再建され、毎年8月上旬の浦賀みなと祭りで慰霊祭が行われています。

写真撮影:2009年04月13日
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