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日蓮宗の普門山慈眼院です。茅山の観音様として親しまれています。
山号の普門とは、常に門が開かれ、すべての人受け入れるという意味があります。
本尊は聖観世音菩薩です。文禄元年(1592年)、海の中から出現したと伝えられています。この観音様の体内には、地元の漁師が網であげた小さな石仏が入っているとも言われています。
ここは、三浦半島に三十三箇所ある観音様の、第十七番目のお寺になります。 |
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大きな幹線道路から見ると、慈眼院はこんな感じになっています。気になるけど行ったことはないという人はたくさんいるのではないでしょうか。とっても急な階段があり、その頂上にお寺があります。
頑張って上りましたよ、私も。太股が痛くなるまで。ところがですね、裏手からも入り口がありまして、そこはなだらかな道になっています。もしいくなら、裏手からいくことをオススメします。
今では考えられませんが、かつては、ここのすぐ下まで海になっていました。そこを砂村新左衛門が埋め立て、内川新田としました。
三浦半島の歴史:人物事典・砂村新左衛門 |
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どう見ても畑なんですが、看板が立てられていたので、貝塚なんだと思います(^^ゞ。実際には、貝は見付かりませんでした。
今から6500年前頃は、現在の平地は海で、この場所が海に突き出た低い丘になっていて、ここで生活をしていたようです。
貝塚にはマガキが多く、東西20m、南北10m前後に広がり、貝の堆積は4mにもなっていました。
ここからは土器も発見され、食物繊維を多量に含み、きめの粗い粗雑な作りの深鉢形の者が多く、土器の表面をアカガイなどの貝の背で仕上げていて、貝のすじ跡がたくさん付いているのが特徴です。茅山式土器となづけられました。
明治時代には、この貝塚の貝を、石灰製造の原料にされてしまい、半分ほどがなくなってしまいました。 |
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