 尻こすり坂開削碑 |
京急YRP野比駅下車 徒歩25分
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国道134号線の久里浜からハイランド入り口までの坂道を尻こすり坂といいます。
昔はもっと急勾配で、せまい坂道でした。通行する人はあえぎながら上り、尻をこすりながら下り、大変だったことから、尻こすり坂と名付けられました。また、天秤棒の両端につるす籠の尻を地面に擦りながら上り下りしていたことから名付けられたとも言われています。碑文には「欺里古須利坂」と書かれてあります。
この難所を通りやすくする工事が完成した明治18年12月に、尻こすり坂開削碑が建てられました。
碑の頭と左肩が欠けています。頭部には、神奈川県令沖守固の篆額「萬世永頼」の言葉が乗っていましたが、度重なる移碑によって欠けてしまいました。
碑文には、天保年間(1830年〜1844年)ごろ、久里浜村の名主、長島六兵衛が開削を手がけ、子の尚賢、孫の安尚が引き継ぎ、明治11年からは、三浦郡長の小川茂周が引き継いで無事に終わったと刻まれています。碑文は神奈川県大書記官田沼健の撰文で、筆者は長島尚賢(長島雪操)です。
三浦半島の歴史:人物事典・小川茂周 |
| 写真撮影:2006年06月19日 |
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長島雪操は、久里浜の伝福寺にお墓があります。久里浜の八幡神社社殿の天井には、長島雪操が書いた龍の絵があります。
裏手の山を上ると、牛頭観音の碑が建っているところがあり、当時の山道らしい踏み固められた跡があります。実際に探してみましたが、畑があり、その先は山深きところで、何も見付かりませんでした。
工費5000円、3万人がこの工事に携わりました。地方の事業としては一大事業でした。
裏面の発起人が三浦半島全域にわたることからも、浦賀から久里浜を通り三崎にいたる三崎街道の要所だったと想像できます。
三浦半島の歴史:横須賀市久里浜・伝福寺
三浦半島の歴史:横須賀市久里浜・八幡神社 |
| 写真撮影:2006年06月19日 |
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