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浅間神社


浅間神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
地図
浅間神社
浅間神社

 浅間神社の参道、津久井浜駅から狭い高架下を通って浅間神社に行きます。京急の方が後にできたから、こんな不自然な形になっちゃったのか。
三浦半島観光地図:横須賀市津久井・津久井浜駅
 祭神は木花咲耶姫命です。素直に読めば「ボクカサクヤヒメイノチ」ですが、正しくは「このはなのさくやひめのみこと」と読みます。普通は読めないですよね?
 縁結び、安産、子育ての神様です。
 浅間神社の総本宮は、富士山南麓の静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社になります。全国にある浅間神社の多くは、富士山麓をはじめとしてその山容が眺められる地にあります。
 浅間神社は山中に祀られた山宮と、集落に鎮座する里宮が対をなして祀られるのが一般的です。そして、氏子らによって富士講が形成されることが多いです。

写真撮影:2009年04月10日

浅間神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
浅間神社
浅間神社

 参道の桜がとても綺麗だったので、もう1枚、写真を撮りました。もしかしたら、一番綺麗な時に訪れたのかもしれません。神社に桜は、実に良く似合います。
 鳥居のすぐ隣に、由来の書かれた石碑があります。2005年(平成17年)8月吉日と書かれていたので、新しく作ったばかりのようです。宮司・菊池恵、書・高木、施工・西浦賀町の石平石材店って書いてありました。西浦賀の石材店、どこにあるんだろう。
三浦半島観光地図:横須賀市西浦賀

写真撮影:2009年04月10日

浅間神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
浅間神社
浅間神社

 急な階段がありました。
 浅間神社さくら祭りののぼりがいっぱい。さくら祭りは賑やかなのかな?
 社伝によれば、聖武天皇の天平年間(729年〜749年)、奈良大仏建立勧請の高僧・行基がこの地に訪れた時、駿河国の浅間神社を勧請して祀ったと伝えられています。
 その地は津久井と長沢の奥にあり、高くそびえる浅間山の山頂です。社殿は旧地名で「富士の入」の地にありましたが、1928年(昭和3年)11月に現在地に移転しました。浅間神社の奥宮は、現在でも山頂の石祠に鎮座しています。
 海上からは良い目標となるため、漁場の位置や東京湾に出入りする船が目印とするのにちょうど良い山でした。同時に、信仰の対象にもなっています。のち、富士山と呼ばれ人々からあがめられる様になりました。
三浦半島観光地図:横須賀市長沢・若宮&三浦富士

写真撮影:2009年04月10日

浅間神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
浅間神社
浅間神社

 社殿が見えてきました。
 少し小さめな社殿ですね。

写真撮影:2009年04月10日

浅間神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
浅間神社
浅間神社

 今日は社殿の扉が閉まっていました。人のいる気配がなさそうなので、いつも閉まっているのかもしれません。
 お守りやお札が買えるのは、正月だけかもしれないです。

写真撮影:2009年04月10日

浅間神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
浅間神社
浅間神社

 社殿は小さかったのですが、立派な変額がありました。金色でピカピカと輝いていました。
 浅間神社の文字は、宮司さんの菊池茂によります。奉納は今井シヅです。

写真撮影:2009年04月10日

稲荷神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
稲荷神社
稲荷神社

 合祀されている稲荷神社たちです。複数あったので、どこかの屋敷神だったものが浅間神社に移されたんだと思います。
 京都市伏見区にある伏見稲荷大社が総本社です。神道系神社では朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボルです。明治時代の廃仏毀釈が起こる前は、お寺にも鳥居が建てられました。
 稲荷神は、穀物・農業の神様ですが、現在は産業全般の神様として信仰されています。小さなものは、農家の屋敷で祀られていたものになります。
 日本の神社で稲荷神社は、2970社、合祀されているものも含めると32000社はあるだろうと言われています。屋敷神として個人や企業などに祀られているもの、山野や路地の小祠まで入れると膨大な数になります。このため、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで言われるようになってしまいました
 稲荷神社は日本全国にありますが、東日本で多く信仰されています。

写真撮影:2009年04月10日

金毘羅神社

京急津久井駅下車 徒歩1分
金毘羅神社
金毘羅神社

 合祀されている金毘羅神社。もちろん、きんぴらではありません。
 香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮が総本宮です。祭神は大物主神です。
 江戸時代に船による流通が盛んになるころ、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められました。分かりやすく言えば漁業の神様、津久井の地は漁業が盛んだったため、航海の安全を祈願したのかもしれません。
 明治維新による神仏分離・廃仏毀釈で神仏習合の金毘羅大権現は廃され、大物主神を祭神とする神道の神社になりました。
 1908年(明治41年)12月、神奈川県令によっていくつかの神社が合祀され、祭神は相殿に祀られました。
 横手の八坂神社、川尻の日枝神社、安戸の御霊神社が合祀されました。横手とか川尻は旧地名でなので、現在の地図には載っていません。

写真撮影:2009年04月10日

狛犬

京急津久井駅下車 徒歩1分
狛犬
狛犬

 可愛い狛犬を発見しました。
 足元に仔犬がいました。仔犬がいる狛犬を見ると、かわいくて萌えちゃいますね。もう一方の狛犬は、手毬を抱えていました。
 狛犬といっても、正確に言うと阿形なので獅子になります。もう片方が吽形で狛犬です。ですが現存する狛犬の多くは左右で変わらない姿をしているので、どちらも狛犬になることが多いです。
 狛犬の起源はものすごく古くて、古代エジプトやメソポタミアで神域を守るライオンの像が起源とされています。それが古代インドに伝わり、仏の両脇に守護獣としてライオンの像になりました。さらに中国の唐に渡り、朝鮮半島を経て仏教とともに日本に伝来しました。
 わかりやすくいってしまえば、スフィンクスの日本版といったところでしょうか。

写真撮影:2009年04月10日

灯篭

京急津久井駅下車 徒歩1分
灯篭
灯篭

 ちょっと傾いていますが、奉納された灯篭です。
 今まで何度か倒れてしまったことがあるようです。笠の部分などが欠けていました。地震で倒れたり、倒れた木にぶつかったり、木の根が大きくなって傾いて倒れたりとか、灯篭の人生も動くことができないだけに大変なんだと思います。
 本来は照明器具として使われるものです。ですが、照明器具のために奉納されたのかどうかは不明です。神社の装飾品として奉納された可能性もありますので。
 発起人として、高木角蔵、山田健三、岩崎作次郎、高田仙太郎、杉山卵之助、志村梅吉、高木寅蔵の名前がありました。建立されたのは、1876年(明治9年)7月です。廃刀令のあった年です。
 津久井に多い苗字はまだ調べていませんが、灯篭を奉納するくらいだから昔から住んでいる人だと思います。
 入り口の神社の由来が書かれた石碑には、仲小路・小高、高田・長谷川、大町谷・高木、牛込・森、川尻・高木、谷戸・岩沢、仲町谷・椙山、安戸・高梨、下田・長谷川といった苗字が見受けられました。仲小路や大町谷は、旧地名です。
 津久井には高木さん、杉山さんが大井のかな?

写真撮影:2009年04月10日

浅間神社さくら祭り

京急津久井駅下車 徒歩1分
浅間神社さくら祭り
浅間神社さくら祭り

 浅間神社さくら祭りの案内パンフレット。ラミネート加工され、たくさん貼り付けられていました。
 写真を撮りに行ったのが4月10日で、さくら祭りは4月5日。すでに終わっちゃっていたんですね。毎年やっているんだと思います。
 開催時間は10時〜15時まで、先着100名様には甘酒とお神酒の接待があります!!みんなで浅間神社の桜を楽しみましょう。
 家族円満、安産、子安、水徳の神とされ、火難消除、安産、航海、漁業、農業、機織などの守護神とされています。
 毎年7月8日、山頂で「お焚き上げ」の神事が行われています。家内安全、大漁、海上安全、五穀豊穣、病気平癒、交通安全などを祈願する人で賑わいます。かつては、津久井や長沢だけでなく、三浦半島全域の富士講の行者によってお焚き上げと呼ばれる護摩焚きが行われました。神事も行われ、山頂は終日にぎわいました。
 夏祭りは八雲祭りと呼ばれ、昭和40年代以前は7月7日・8日に行われていましたが、現在は8月下旬の土日に行われるようになりました。

写真撮影:2009年04月10日
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