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浦賀町


横須賀市浦賀町の歴史

横須賀市浦賀町

 

 浦賀といえば西浦賀・東浦賀も含めて、浦賀と呼びます。
 浦賀港は今も昔も、天然の良港です。鎌倉時代以前から港とともに栄え、水軍の拠点となり、江戸時代には干鰯問屋が軒を連ね、その後も浦賀ドックとともに栄えた港町です。
 歴史の教科書でも有名な1853年(嘉永6年)のペリー来航以前から、たびたび異国船が来航しました。温かく迎え入れることもあれば、交渉に応じることもあったり、砲撃を加えて追い払うなど、時代を反映した行動をとっています。

地名の由来

 

 かつては「うらがわ」ともいい、浦河・浦川とも書きました。戦国時代のころから見られる地名です。
 海が奥深く入り込んだ入江で、川のように見えることに由来しています。
 平作川河口付近では、元浦賀の地名があり、同様の地形をしていました。浦賀の地名は、平作川河口の元浦賀の方が先だと言われています。

浦賀の歴史

   文明18年8月〜9月、関東方面を歩いた道興准后は、「浦川のみなとといへる所にいたる、ここは昔頼朝卿の鎌倉にすませ給ふとき、金沢・榎戸・浦河とて三の湊なりけるとかや」と見聞を記しています。
 弘治3年11月15日、北条家朱印状写では、国府津の村野氏、落切の二見氏に対して、小田原北条市の御台所船諸役に従う代わりに「浦賀定詰之舟方」役を半分免除する旨が記されています。当時、相模湾岸の船持ちには、浦賀定詰の所役が課せられていました。
 年実生ですが、表情氏康書状写に、正木兵部太輔の所領とする記述があります。玉縄衆の愛洲兵部少輔と高尾氏の所領と書かれてあります。永禄3年7月5日の北条家朱印状写には百姓中に浦賀まで番銭を必ず届けるように命じています。
 浦賀場を中心とした水軍の拠点として重要な位置を占めていました。

江戸時代の浦賀の歴史

   寛永10年、幕府領となっています。
 天正年間、民家は15軒しかありませんでしたが、次第に増加していきました。
 元禄5年、貢租を銭納にしました。東浦賀村・西浦賀村に分村しています。
 浦賀湊と呼ばれ、『豆相海浜浦々図』によれば、湊口横幅平均2町余、奥行20町余、深さ5丈余、中ほど4丈ほどで廻船800艘〜1000艘が停泊できるとあります。

明治時代以降の浦賀の歴史

   新井町、洲崎町、新町、大ヶ谷町、築地新町、築地古町、谷戸町、宮下町、田中町、紺谷町、蛇畠町、浜町、芝生町、荒巻町、高坂町、川間町、久比里町、吉井町がありました。
 明治9年、戸数1504、人口6595、牝牛24、牝馬4、荷船75、漁船175、伝馬船212。農業300戸、商業650戸、工業50戸、雑業428戸。女では農業200人、裁縫業150人、網製造1300人。
 明治22年、浦賀町、大津村、走水村、鴨居村、公郷村飛地、内川新田飛地が合併し、浦賀町が誕生しました。
 明治24年、 戸数2955、男6725人、女6603人。明治41年、浦賀船渠会社が3000人の職工を有し、横須賀から馬車の便がありました。
 昭和5年、湘南電気鉄道によって黄金町〜浦賀間が開通しました。
 昭和初期には京浜地方との取引が中心で、金属、金属製品、材木、食塩、石炭、和酒などを移出していました。
 昭和18年、横須賀市に編入されました。
 昭和31年、荒巻、築地古町、大津、大ヶ谷、芝生、吉井、築地新町、谷戸、高坂、宮下が浦賀町となりました。昭和51年に桜が丘と浦上台が独立し、昭和53年に浦賀丘が独立しています。
 
馬堀町 浦上台 二葉
桜が丘 浦賀 東浦賀
吉井 浦賀丘 西浦賀

京急浦賀駅


京急浦賀駅 京急浦賀駅。
 湘南電気鉄道が1930年(昭和5年)に開業しました。開業当時は久里浜方面に鉄道が開通していなかったため、浦賀方面が京急本線となっています。

浦賀商店街


浦賀商店街 浦賀商店街。
 巨大なクレーンが見える商店街です。浦賀ドッグと共に栄えた商店街です。

大衆帰本塚の碑


大衆帰本塚の碑 無縁仏が集められた場所。
 以前は警察署の裏にあった山にありました。造成工事によって、現在地に移設されました。

浦賀警察署


浦賀警察署 神奈川県警浦賀警察署。
 浦賀地区・久里浜地区などを管轄しています。庁舎の老朽化により、建て替えや移転が検討されています。

浦賀行政センター


浦賀行政センター 浦賀地区の行政センター。
 各種行政手続きを行います。コミュニティセンターも併設されています。

浦賀ポンプ場


浦賀ポンプ場 下水道の浦賀ポンプ場。
 ポンプの力で汚水に水圧を掛けて、下町浄化センターまで送水しています。

浦賀コミュニティセンター分館


浦賀コミュニティセンター分館 行政センターにあるコミュニティセンターの分館です。以前は浦賀文化センターでした。
 郷土資料館があり、イベント展示なども行われます。

浦賀7丁目公園


浦賀7丁目公園 浦賀コミュニティセンター分館のすぐ隣にある、浦賀7丁目公園。
 市営プールのある公園です。砂場に動物たちがたくさんいます。

浦賀湾


浦賀湾 深く入り込んだ入り江になっている浦賀湾。
 まさに天然の良港といった地形をしています。浦賀の渡船が有名です。

7丁目町内会館


7丁目町内会館 浦賀7丁目町内会館と、老人いきがいの家。
 叶神社の祭礼に使われる獅子頭が伝えられています。

風景と景色


風景と景色 浦賀町内で見付けた、風景写真と景色写真。
 古い建物が多い地区なので、街歩きも楽しいです。

浦賀ドック


浦賀ドック 中島三郎助の菩提を弔うため、榎本武揚や荒井郁之助が尽力して造った浦賀ドック。
 日本の近代化を支え、多くの艦船を作ってきました。

道路元標


道路元標 道路の起点を表すために建てられた道路元標です。
 役目を終えて、忘れ去られている史跡です。

マンホール


マンホール 浦賀町で発見したマンホールのはずが・・・
 写真を撮り忘れて、床板レリーフだけになってしまいました。

屯営跡の碑


屯営跡の碑 このあたりに屯営があり、その土地を取得して浦賀ドックが建てられました。
 そのため、実際の石碑は浦賀ドック内にあって見ることができません。

咸臨丸フェスティバル


咸臨丸フェスティバル 毎年、浦賀ドック内で開催されます。
 咸臨丸の太平洋横断の偉業を讃え、出港の町浦賀でイベントが行われます。

咸臨丸フェスティバルのスタンプラリー


咸臨丸フェスティバルのスタンプラリー 咸臨丸フェスティバルのイベントのひとつ、スタンプラリー。
 すべてのスタンプを押してもらえれば、景品のワカメがもらえます。

 
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