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大衆帰本塚の碑


大衆帰本塚の碑

京急浦賀駅下車 徒歩5分
地図
大衆帰本塚の碑
大衆帰本塚の碑

 大きなドラッグストアーと警察署の間に、ちょこんと建っていた石碑。
 観光名所というわけでもないので、写真を撮るのがちょっと恥ずかしかったです。
 1864年(元治元年)9月に建てられました。
 石碑の上部の篆額(てんがく)部分は、江戸時代後期の国学者・大畑春國が書いたものです。碑文は浦賀奉行所与力の中島三郎助の文章と筆跡がそのまま刻まれています。
人物事典:中島三郎助
 碑材には、安山岩の中でも板状節理が発達した箱根産の利根川石が使われています。

写真撮影:2009年04月13日

大衆帰本塚の碑

京急浦賀駅下車 徒歩5分
大衆帰本塚の碑
大衆帰本塚の碑

 何の石碑なんだろうと思って近付いてみたら、大衆帰本塚の碑って書いてありました。
 これって、中島三郎助が書いたっていう石碑だなって思い出しました。一度は見てみたかった石碑なので、見付けられてラッキーでした。
 こんな場所だったかなーって思ったんですが、移築されて現在地に移されたみたいです。何度か探しに来たことがありましたが、見付からないので諦めていました。
 もともとは、浦賀警察署裏手にあった山の中腹あたりに建てられていました。警察署と行政センターの間に、裏山へと登る道があったようです。現在は大規模な造成工事によって、景色が一変しました。
 1997年(平成9年)、造成工事によって現在地に移されました。

写真撮影:2009年04月13日

大衆帰本塚の碑

京急浦賀駅下車 徒歩5分
大衆帰本塚の碑
大衆帰本塚の碑

 石碑の文字は、、、読めないですね(^^;)
 碑文には・・・
 この周辺の昔の様子を思えば、葦蟹(あしがに)が遊ぶところから蟹田といい、のどかな湿地帯でした。しかし、ここにも港の賑わいから家並みが押し寄せてきました。この開発によって傍らに眠っていた無縁仏をひとまとめにして供養しようと、1862年(文久2年)、ときの浦賀奉行の大久保土佐守が大衆帰本塚を設けることに決めました。
 この話を聞いた奉行所付大工棟梁の川島平吉は、奉行の決定を神妙に承り、1000年後までもこの事業を伝えるために石碑も良いものを選び、碑の周辺には何本かの桜の木を植え、無縁になった人々の魂を慰めようと考えて実行しました。
 立派でとても嬉しい心配りであり、とても心強く真面目な心であろうと。
 このように言うのは、浦賀奉行所に使える中島三郎助永胤(ながたね)です。

写真撮影:2009年04月13日

大衆帰本塚の碑

京急浦賀駅下車 徒歩5分
大衆帰本塚の碑
大衆帰本塚の碑

 地蔵なのか供養塔なのか、それとも墓石なのか・・・
 碑文の解説版を読むと無縁仏のようです。古い写真を見ると、移設前の大衆帰本塚の碑の周辺に石仏がありましたので、移設時に一緒にこちらに持ってきたみたいです。古い写真には五輪塔のような石塔もありましたが、現在はないみたいです。
 この石仏たちがいるためか、綺麗に管理されているなって思いました。

写真撮影:2009年04月13日
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