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1930年(昭和5年)4月1日に開業しました。1927年(昭和2年)から建設工事が進められました。黄金町〜浦賀間の開通にともなってのものです。当時は湘南電気鉄道株式会社といいました。
駅名の由来は、この付近が昔から「中央」と呼ばれていたことによります。明治時代以降、横須賀製鉄所や、海軍基地などもでき、市の行政、経済、文化の中心部として発展してきたことから、中央と呼ばれるようになりました。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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サックスおじさん |
京急 横須賀中央駅下車 徒歩0分
Yデッキ上  |
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サックスを吹くデブなおじさんの銅像です。誰が作ったのが、何のために作られたのか、モデルは誰なのか、すべてが謎に包まれたデブの銅像です。いちよジャズなんだとか。どちらかというとギャグに近いのだが・・・。盗難防止用にガッチリと固定されていますが、きっと誰かが盗んでいくことでしょう(^^ゞ
駅に隣接して、平成9年10月1日に「モアーズシティ」がオープンしました。モアーズシティ内のマライカとかっていうアジア雑貨店の店員って、客に対して態度が悪いと思いませんか?
そして、駅前中央大通りをまたぐようにしてできた大きな歩道橋が「Yデッキ」といいます。歩道橋の形がY字型であり、さらにYOKOSUKAのYを取って、Yデッキと名付けられました。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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空を見上げるデブ |
京急 横須賀中央駅下車 徒歩0分
Yデッキ上  |
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1日の平均乗降人数は70,775人で、京急では7番目に利用客の多い駅です。横須賀市内では一番利用客の多い駅になります。
相対式ホーム2面2線の地上駅です。傾斜地に造られている高架駅で、ホームがカーブしているため電車とホームの間が広く開いております。乗り降りの際は足元に気を付けて乗り降りするよう心がけてください。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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メタボリック3兄弟 |
京急 横須賀中央駅下車 徒歩0分
Yデッキ上  |
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この3体のブロンズ像にも正式名称があるのかもしれませんが、わからないので、当サイトではわかりやすく「メタボリック3兄弟」としておきます。ブロンズ像というと大きな像をイメージするかもしれませんが、小さなブロンズ像であまり目立ちません。
たまにYデッキ上で選挙運動や、街頭演説も行っていますが、人通りが多い場所なので通行の妨げになるような行為は辞めて欲しいです(T_T)。公明党さんの活動はビラ配りの人が大勢いて、人が通れません(T_T)。もう少し人の迷惑も考えて欲しいです。
芸術的価値などとは無関係に、横須賀市内にはブロンズ像やオブジェなどがたくさんあります。設置場所などの関係から、邪魔だという声が多々ありますが(^^ゞ
家庭の医学:高脂血症(メタボリックシンドローム)とは? |
| 撮影:2006年12月05日 |
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横須賀中央大通り |
京急 横須賀中央駅下車 徒歩0分
Yデッキ上から  |
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Yデッキから見た、横須賀中央大通りです。
ケヤキ並木と、冬のイルミネーションが綺麗な、横須賀のメインストリートです。開国パレード、みこしパレードなどもここで開催されます。
現在の繁華街のほとんどは、海岸の埋め立てにより作られました。1867年(慶応3年)に横須賀村字大滝の海岸を約1ヘクタールほど埋め立てたことに始まります。
大滝町から中横須賀と呼ばれていた現在の若松町1丁目の山寄りの方へ行くには、海に張り出した豊川山(三笠ビルの中央近辺)の山腹に掘られたトンネルを通っていました。当時は現在の若松町を「穴向こう」と呼んでいました。ちなみにトンネルを開いたのは、田戸庄(久郷村)の名主、長島庄兵衛です。
1878年(明治11年)には、大滝町から北の海を埋め立て小川町が作られました。町名は三浦郡長の小川茂周(おがわしげちか)から。
1879年(明治12年)、大滝町の東から祖師山(龍本寺の山)の下までの海を埋め立て、若松町が作られました。地名は鴨居の若松屋高橋勝七の屋号から。
三浦半島の歴史:人物事典・小川茂周
三浦半島の歴史:人物事典・若松屋高橋勝七
三浦半島の歴史:人物事典・長島庄兵衛 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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米が浜通り方面 |
京急 横須賀中央駅下車 徒歩0分
Yデッキ上から  |
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YデッキからYYポート、NTTなどがある方面の様子です。こっちは何通りっていうのかな?米が浜通りってわけじゃないし。
1889年(明治22年)、米が浜海岸が埋め立てられ、観念寺と呼ばれていた現在の米が浜通りが作られました。
さらに、大正終わりから1936年(昭和11年)ごろまでに数回の埋め立て工事が行われ、下町周辺の市街地が形成されました。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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平坂 |
京急 横須賀中央駅下車 徒歩0分
Yデッキ上から  |
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Yデッキから見た、平坂の様子です。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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よこすか海軍カレー君 |
京急 横須賀中央駅下車 徒歩0分
京浜急行券売機横  |
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日本のカレーライスは、開国を機会にしてインド風ではなく、イギリス風カレーとして伝えられたとされています。
栄養バランスに優れたカレーは、明治時代の海軍の食事に取り入れられ人気メニューとなり、現代に引き継がれました。
家庭料理としてのカレーライスは、兵隊さんたちによって全国に広められたといわれています。
海軍と共に歩んできた横須賀は、全国にカレーを発信した街であると考えられます。そして、明治時代に食べられていたカレーライスを現代に蘇らせ、横須賀から全国に向けて発信をしています。
宇都宮市のギョウザの町のマネでもありまが、横須賀市内にカレー屋はそれほど多くはありません。パチンコ屋の街として栄えています。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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