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米が浜通


横須賀市米が浜通の歴史

米が浜通の歴史

   商業地域となっており、横須賀共済病院が広い土地を有しています。このほか、消防署、年金事務所、労働金庫横須賀支社、田戸小学校などがあります。国道16号を境に日の出町、京急を境に深田台と接しています。
 1889年(明治22年)、若松町に続いて、龍本寺の山の下から現在の文化会館・博物館のある中央公園の崖下まで、米が浜の海岸の埋め立てが行なわれました。それまで、隣接していた田戸の浜と米が浜の間は、田戸崎と呼ばれる岬によって分断されていました。
 1926年(大正15年)、共済組合横須賀病院がここに移転し、戦後は横須賀共済病院となりました。
 1949年(昭和24年)、町名整理で米が浜通の町名になりました。戦前は海軍工廠の職工、海軍の兵隊の下宿があり、表通りは商店街、裏通りは酒場・遊郭・待合・芸妓置屋がありました。

地名の由来

   昭和24年に誕生した町です。深田町で使われていた小字名が、町名の由来となっています。
 「米が浜」の名前の由来は、日蓮上人が龍本寺に篭っていた際、漁師たちが初穂を供えたことからと伝えられています。「浜」は陸地と海とを繋ぐ地でもあり、埋葬の地となったりすることもある地名です。
 また、米が浜通りのことを「観念寺」と呼ぶ人もいます。昔の地名ですね。
 もともとは、日の出町、深田町、公郷町、安浦町の一部でした。
 
  若松町  
深田台 米が浜通 日の出町
  安浦町  

横須賀社会保険事務所


横須賀社会保険事務所 厚生労働省の外局である社会保険庁の出先機関です。
 自分の年金がちゃんも支給されるのかどうか、確認したい人・心配な人はこちらでご相談を。

風景と景色


風景&景色 米が浜通のちょっとした風景、景色、街並みの写真などを公開。
 懐かしさを感じるものから、ちょっと変わったもの、スクープ映像まで、いろいろあります。

横須賀共済病院


横須賀共済病院 三浦半島では一番大きな病院、横須賀共済病院です。
 規模は大きな病院ですが、増改築を繰り返しているので、迷路のようになっています。

神明社


神明社 米が浜通にある唯一の神社、神明社。
 とても小さな神社ですが、深田台にある神明社が元々あった場所が、ここになります。

お穴さま


お穴さま 日蓮が房総半島から鎌倉へ行く途中に立ち寄った場所。
 この岩穴に篭って読経をしたと伝えられ、のちの龍本寺となりました。

米が浜通り


米が浜通り 若松町から日の出町へと一直線に通る商店街、米が浜通り。
 若松栄和会商店街協同組合と、協同組合米が浜商店会からなります。

おりょう会館


おりょう会館 斎場・葬儀場のおりょう会館。
 坂本龍馬の妻、龍子の終焉の地。坂本龍馬暗殺後、紆余曲折を経て、この地で暮らすことになりました。

横須賀市中央消防署


横須賀市中央消防署 横須賀市内でもっとも大きな消防署、中央消防署。
 多くの種類の消防車両が導入されています。やっぱり、はしご車が一番カッコいいです。

国道16号


国道16号 国道16号沿いの街並みの様子。
 米が浜通、日の出町、安浦町に架かる歩道橋から写真を撮影しました。高層建築が増えました。

 
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