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虚空蔵堂・星の井

虚空蔵堂・星の井

 鎌倉十井(かまくらじっせい)のひとつ、「星ノ井」です。「星月夜ノ井」、「星月ノ井」とも呼ばれます。
 昔の旅人が極楽寺坂を越える前、この井戸水を飲んで一休みしてから急な上り坂を登っていきました。水道が普及するまでは実際に使われており、道行く人に売られたりもしていました。現在は蓋がしてあるため内部を確認することはできませんし、水を汲むこともできなくなっています。
極楽寺坂切通し|鎌倉市極楽寺 - 三浦半島観光地図

 このあたりは昼なお暗い山深い場所で、星ノ井を覗き込めば昼間でも星が輝いて見えたことから名付けられました。鎌倉を詠む歌の枕詞に「星月夜」とうい言葉を使いますが、谷の地名の星月ケ谷といったことから名付けられたとも考えられます。
 「われひとり かまくら山を こえゆけば 星月夜こそ うれしかりけれ」。この歌は平安時代の『永久百首』(えいきゅうひゃくしゅ)にある歌で、以前歌碑が建てられていました。『北国紀行』には、「極楽寺へ行く途中に、星月夜とか、星御堂(虚空蔵堂)がある。」と書かれていることなどから「星月夜」という言葉が使われていたことがわかります。

 奈良時代に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が全国を修行して歩いた時、この地で虚空蔵をまつる法を行っていました。そのとき、井戸に3つの明星が輝き水面は鏡のようになり、それが7日間も続きました。
 この光を見た行基は、井戸にめずらしいものが入っているに違いないと思い、土地の人々を集めて井戸の水を汲み出すと、井戸の底から珍しい形をした石が出てきました。これは虚空蔵がこの石になり、世の人々に信心を起こさせようとしているのだと考えました。
 この話を聞いた聖武天皇は、虚空蔵菩薩の像を彫ってこの寺の本尊とするようにと行基に命じました。
 その後、井戸の中の明星は見えなくなったと言います。また、近くにする女性が井戸水を汲もうとして包丁を落としてしまい、それ以後は星は輝かなくなったと言われています。

 星ノ井の脇の石段を上がると虚空蔵堂があり、本尊は星ノ井とゆかりのある虚空蔵菩薩です。
 源頼朝も虚空蔵を敬い、御本尊を秘仏として35年に一度だけ拝めるようにしました。しかし現在は、毎年1月13日に開帳して拝めるようになっています。知恵が身に付くことから、受験生に人気があります。

 虚空蔵堂の境内には舟守地蔵があります。
 小さなお堂の中に船の台座に乗った石製のお地蔵様が立っています。
 昔から海上安全、大漁祈願など、船や水に関係のある人々から厚い信仰を集めています。

●明鏡山円満院星の井寺(御本尊虚空蔵菩薩安置)
 天平年間、聖武天皇の御代に諸国行脚中の行基僧正が当地の古井戸「星月の井」に明るく輝く明星の光りが移るとのうわさを地元民から聴き、井戸をのぞくと中に虚空蔵菩薩のお姿が写し現れていた行基はそのお姿を仏像に彫り当地にお堂を建立し安置した。
 かの像は明星の照曜の如き光を放ち、鏡に影の移る如くでありました。以後数百年経って幕下の征夷大将軍源頼朝公はこの菩薩を崇敬し、この菩薩像を内陣仏の秘仏とし、仏師運慶に外陣仏を作らせたこれが前立尊であるという。
 秘仏虚空蔵菩薩はわが国では唯三体の木彫の仏像で大変貴重な仏像であります。これに加えてこの御仏は明星と一体で、その分身であり限りない知恵をそなえた御仏で、経典では虚空蔵菩薩は、西方香集世界の教主で娑婆世界の苦難する人々の利益のために無下畏陀羅尼を説くことを、釈迦・敷蔵の二仏に許された御仏であります。即ちその本尊に礼するものは三世十方一切の諸仏を礼することと同じであるといわれます。
 又、虚空蔵菩薩を本尊として修業する虚空蔵求聞持法では心を静かにしこの真言を唱えれば天より明星が口に入り、菩薩の威はあらわれて頭脳は明晰となり記憶力は増進するといわれております。
 秘仏であるが衆生に縁を結ばせるべきでるとして三十五年一度に開帳し衆生にそのお姿を拝する事が許されました。近代に至り熱心な信仰者の意に添うようにと毎年正月十三日に開帳し善男善女もそのお姿を毎年拝することが出来るようになりました。正月十三日の初護摩供養には、丑年寅年の人々の守本尊として、また、知恵、記憶力をお授け下さる虚空蔵様として地元民をはじめ各地より善男善女が参詣にまいります。
●舟守地蔵(虚空蔵堂境内安置)
 いつの時代に開眼されたお地蔵であるか不明であるが往年より海上安全、大漁満足、身宮安泰、海難、水難除け、その他船舶水に関係した一切の事業に従事しておられる人々に大きな功徳をお授け下さるお地蔵として近郷、近在の人々に深く崇敬されております。
 また、その昔より願主の心清く精進すれば願い事を数日で成就させていただける有難いお地蔵様であるとも言い伝えられております。
 昭和五十九年七月 虚空蔵堂護持会(案内看板より)

●星の井(ほしのい)
 この井戸は、鎌倉十井の一つで、星月夜の井、星月の井とも呼ばれています。
 昔、この井戸の中に昼間も星の影が見えたことから、この名がついたといわれています。
 奈良時代の名僧・行基は、井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建てて虚空蔵菩薩をまつったという伝説もあります。
 井戸の水は清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人の飲料水として売られていたそうです。
 平成11年12月 社団法人鎌倉青年会議所(案内看板より)

●星月井
 星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ云ウ鎌倉十井ノ一ナリ
坂ノ下ニ属ス往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ昼尚暗シ故ニ称シテ星月谷ト曰フ後転ジテ星月夜トナル井名蓋シ此ニ基ク里老言ウ古昔此井中昼モ星ノ影見ユ故ニ此名アリ近傍ノ婢女誤ツテ菜刀ヲ落セシヨリ以来星影復タ見エザルニ至ルト此説最モ里人ノ為メニ信ゼラルルガ如シ慶長五年六月徳川家康京師ヨリノ帰途鎌倉ニ過リ特ニ此井ヲ見タルコトアリ以テ其名世ニ著ハルルヲ知ルベシ水質清冽最モ口ニ可ナリ
 昭和二年三月建 鎌倉町青年団(石碑より)

江ノ電極楽寺駅下車 徒歩8分 地図

虚空蔵堂・星の井の写真

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 なんか、ものすごくたくさんののぼりが立っていました。
 大安売りではありませんよ、「奉納南無虚空蔵菩薩」ってかいてありました。

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 細い階段を見付けたので、登ってみることにしました。
 何があるんだろう・・・

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 なんか神社なのか寺院なのか、良くわからない場所に出ました。
 狛犬らしき石造と、神社の拝殿のような建物です。
虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 この狛犬、ナマズっぽいよね(^_^;)

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 舟守地蔵の神霊から光りを放っていました!!
 まぶしすぎます舟守地蔵、きっとご利益があるはず・・・

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 向背の庇を支えるとても立派な梁が目立ちます。桁っていうのかな?
 山号は明鏡山というんですね、星ノ井に明るく映り込んだ明星から来ているのかな。
 いつ頃建てられた建築なのかわかりませんが古そうな感じがします。

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 内部が見えたのでどうなっているのか覗いてみました。
 御本尊の写真を撮るのって、なんとなく罪の意識みたいなのがあってドキドキしちゃいます。

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 大きな説明看板があったので、原文のまま掲載しておきました。
虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 鎌倉の史跡巡りをしていると良く出会うことになる石碑です。
 鎌倉らしい風情のあるものとなりました。
 現在ではこの石碑そのものが史跡となっている感があります。

虚空蔵堂
写真撮影:2016年11月29日
 鎌倉十井のひとつ星ノ井です。
 観光客もあまり気に留めることのない史跡となっています。
 鎌倉十井は現在でも全部で10個ありますが、そのうちの2個は公開されていないので、10個すべてを見て回ることはできません。最大で8個までです。
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