デジカメの望遠を使って、洞窟の中の写真を撮影してみました。
たくさんの石が積まれて、階段状になっているみたいです。中心部分に石製の祠が設置されていました。開口部分は大きいですが、奥行きはそれほどでもないみたいです。
1213年(建保元年)、建保の乱(和田義盛の乱)の時、観音堂のお守りをしていた人が、こっそり仏像を持ち出し、どこかえ行ってしまいました。村人たちは探しましたが、姿を消した堂守りも仏像も、見付かりませんでした。
また、津浪で流されたとも言われています。
1244年(寛元2年)、走水沖の海底から、夜になると不思議な光がさすことに漁師が気付き、村人たちがその辺りの海底を探すと、磯の間から仏像が出てきました。拾い上げた仏像は、以前になくなった観音像だったため、元の場所に安置しました。
海底に潜って拾い上げたのではなく、走水の漁師をしている細川弥左衛門の魚網に掛かったとも言い伝えられています。 |