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多くの人が、「この先になにがあるんだろう」と思いながら通り過ぎていると思います。
三笠ビル商店街の中にある、徳寿院の入り口の写真です。豊川稲荷と呼んだほうがわかりやすいかな?以前はおもちゃ屋がありましたね。覚えている人、いるかな?おばあちゃんが経営していたと思ったんだけど・・・ |
写真撮影:2007年05月21日 |
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通っていいのか、通っちゃいけないのか、不思議な扉を開けると、目の前には長い長い階段が続きます。
実はここに来るには裏道があるんですが、人が通ることは少ないですねー。どこに裏道があるのか、気になる人は頑張って探してみてください!!
ちなみにこの階段、全部で221段あります。足腰を鍛えるにはもってこいの階段です! |
写真撮影:2007年05月21日 |
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階段の下に立っている石碑の写真です。
武藤松翁って、どなたなのでしょうか?石碑が建つほどの人物なので、かなり有名な人なんだとは思いますが・・・。そもそも、ドコまでが苗字なのかすらわかりません(^^ゞ |
写真撮影:2007年05月21日 |
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あまり目立ちませんが、ひっそりと馬頭観音の石塔が一基、たたずんでいました。地元の人なのでしょうか、それともお寺の方なのでしょうか、ちゃんとお祭りされているようです。
明治8年(1875年)3月に立てられた馬頭観音のようです。日本史の授業では、千島・樺太交換条約が締結された年ですね。1874年には、民選議員設立建白書の提出された年、1876年には、廃刀令が発布された年ですね。 |
写真撮影:2007年05月21日 |
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つ、疲れたぁ〜、やっと登りきったよー。でもさらに、この先にも階段が続いている(^^ゞ。エスカレーターはないのかー!!ひきこもりの僕にとっては、心臓破りの階段です。
ココまで来るのに、164段の階段があるんですよー。暇だったら数えてみてください。
ここまで登ってくる途中、フェンス越しに横穴がいくつかありました。場所柄を考えると、第二次大戦中に掘られた防空壕の跡でしょうか? |
写真撮影:2007年05月21日 |
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登ってきた甲斐がありました、なかなか立派な本堂ですね。
こちらのお寺さん、正式名称は豊川山徳寿院といいます。曹洞宗のお寺です。明治9年、愛知県の豊川稲荷(円福山妙厳寺)から祭神を分祀して建てられました。
思っていたよりも新しいお寺なんですね。ずーっと昔から、ここにあったのだと思っていました。
商売繁盛の神として、住民の信仰が特に厚く、大滝町にあった花町の人々も朝夕に参拝していたと言われています。 |
写真撮影:2007年05月21日 |
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こちらの奥が、成田不動尊分霊所になります。三浦不動札所の第四番札所となっています。
成田山分霊所は、元は平坂途中にある現在の教会付近にありました。しかし関東大震災の被害に遭い、地元の有志らの計らいにより、こちらに祀られることとなりました。 |
写真撮影:2007年05月21日 |
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お稲荷さんです。豊川稲荷というくらいなので、お稲荷さんがあるのでしょう。しかし、豊川稲荷というわりには小さいお社ですねー。
現在は神社ではなく、お寺だからかな?三笠ビル商店街の人たちは、商売繁盛を祈願して、ここにお参りに来るのかもしれないですね。僕も商売繁盛のお参りをしておきました。 |
写真撮影:2007年05月21日 |
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何地蔵というのでしょうか。名もなきお地蔵さまです。たぶん本当は、ちゃんとした名前が伝わっていると思いますが・・・
ややなで肩のお地蔵さま、肩こりは大丈夫でしょうか?
こちらのお寺さんは、お墓などはないようなのですが、収入はどうなっているんだろう?供養料などの収入がなくても、お寺は経営していけるのかな?
まあ、こんなことは僕が心配するようなことではありませんが(^^ゞ |
写真撮影:2007年05月21日 |
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さすがは三浦不動札所のひとつですね。境内には、不動明王の石塔が立っています。
右手には剣を持ち、左手にはムチかな?ロープ?右足を台の上に乗せて、ポーズをとっています。背景は炎のようにも見えますし、風のようにも見えるし、海の波のようにも見えます。見る人によって、見え方が違うかもね。
境内は綺麗なお庭になっています。たくさんの草花が植えられていて、たくさんの花が咲いていました。住職さんの趣味なのかな? |
写真撮影:2007年05月21日 |
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さすがに高いところまで登ってきたので、景色は良いですねー。横須賀の町並みが良く見えます。この日は天気も良かったので、非常に綺麗な景色でした。
西友(SEIYU)や、横須賀市役所などが見えます。高所恐怖症の人には、見晴らしが良いのでちょっと怖いかな? |
写真撮影:2007年05月21日 |
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