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狭い境内のこじんまりとしたお寺です。門と本堂との距離が短く、写真を撮るのが難しいです。
延命寺(えんめいじ)は山号を帰命山(きみょうさん)といい、浄土宗のお寺です。門を入ると、西向きに本堂が建っています。
鎌倉時代の執権北条時頼(ほうじょうときより)の夫人が建てたと伝えられています。開山は専蓮社昌誉能公上人(せんれんじゃしょうよのうこうしょうにん)という高僧の一人です。
本尊は阿弥陀如来で、右側には観音像、左側には寺宝といわれる地蔵菩薩像が祀られています。この地蔵菩薩増は「身代わり地蔵」といって、北条時頼の夫人が日頃から信仰していたといわれています。伝えによれば運慶の作といわれ、生きている仏に会いたいという信仰から、裸の姿で作られ、普段は衣服を着せてあります。
鎌倉時代は写実的な仏像彫刻が作られました。鶴岡八幡宮の弁財天や、この延命寺の地蔵菩薩像もそのひとつです。
三浦半島の歴史:鎌倉市雪ノ下・鶴岡八幡宮 |
| 撮影:2007年02月28日 |
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北条時頼夫婦が双六盤(すごろくばん)を使った双六の勝負で、負けた方が裸になるという賭けをしていました。勝負は夫人の方が劣勢で、進退きわまって困った夫人は心の中で一心にお地蔵さまを念じると、裸のお地蔵さまが双六盤の上に立ちあらわれて夫人を救ったといわれています。
それ以来、身代わりになって苦しい立場を救ってくれたお地蔵さまを、北条時頼夫人は守り地蔵として一層深く信仰しました。そして現在でも、身代り地蔵は双六盤の上に安置されています。
江戸時代の忠臣蔵で有名な赤穂四十七士の一人、岡島八十右衛門の三男が出家し、この寺の住職になりました。その住職の書いた義士銘々伝、義士画像は寺宝とされています。
本堂裏手の墓地には「古狸塚(こりづか)」という碑があります。江戸時代末期、延命寺に住み着いたタヌキが人になつき、酒好きな和尚のために酒を買いに行ったりして、街の人からも可愛がられていました。タヌキが死ぬと、葬って碑を立て供養したと伝えられています。 |
| 撮影:2007年02月28日 |
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