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 庚申塔・石仏

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 十劫寺と三浦海岸の中間地点に建つ庚申塔。
三浦半島観光地図:三浦市南下浦町上宮田・十劫寺
三浦半島観光地図:三浦市南下浦町上宮田・三浦海岸
 全部で9基の庚申塔を発見しました。据え付けが悪いみたいで、かなり傾いていたりとかしている庚申塔も見られますが(^^;)
 特徴的な庚申塔もあったので、今回は1基ずつ写真を撮っておきました。記録として役に立つかなーと思って。
 庚申とは、十干十二支(じっかんじゅうにし)の組み合わせのひとつで、60日、または60年ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日のことです。この庚申の日の夜に、体内にいる三尸(さんし)という虫が、人が眠ると天に上り、天帝にその人が日頃している罪を告げると言われています。三尸は、中国の道教の説から来ているようで、四つ足で、犬のような姿をしていると言われています。
 三尸から罪と聞いた天帝は罰として、その人を早死にさせると言われています。このため、長生きをするために、村の講単位などで、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習があります。
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 向かって一番左側から、紹介していきます。
 角柱タイプの庚申塔です。主尊は描かれておらず、文字で「庚申供養塔」と彫られています。
 造立は、寛政十二庚申年、十月吉祥日と書かれてあるので、1800年(寛政12年)10月だと思います。
 台石に講中と名前が書いてあったんだけど、花を飾る台があったので見えませんでした。
 庚申信仰は、日本では室町時代から仏教的な色彩を帯び、庚申供養塔などが造立されるようになって民間にも広まり、村などで講組織と結び付いていきました。講仲間などと共に、徹夜で庚申の祭事を営むことを庚申待ち(こうしんまち)と呼び、次第に定着していきました。
 しかし、具体的に庚申の神様と言われる神像が特定されていたわけではありません。そのため、その時々の仏教や神道の影響を受けてきました。
 現在でも目にするのは石製の庚申塔ですが、かつては金銭的な理由などによって木製の庚申塔を造立したり、紙製であったり、寺院の灯篭を寄進したり、道標を建てたりと、決まった形式があったわけでもありません。
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 笠の付いたちょっと豪華な造りをした、角柱タイプの庚申塔。庚申塔に笠が付くだけで、重厚感がでますね。まるでジオンのモビルスーツ、ドムのようです。
 主尊は庚申塔ではもっとも多い、青面金剛です。6手なので、いわゆるキン肉マンのアシュラマンタイプです。餓鬼を踏み付けており、三猿も一緒に彫られています。
 造立は宝暦十一辛巳天、十月吉日と書かれてあったので、1761年(宝暦11年)10月だと思います。
 庚申塔の多くは、青面金剛か、猿田彦が主尊となっています。仏教では青面金剛として、神道では猿田彦としているためです。ですが、作神、蚕神、福を招く福神、病を治す治神など、時代や地域によって、さまざまな捉え方で信仰されてきました。
 三浦半島での庚申信仰は、他の信仰と混ざることなく庚申信仰のまま伝えられてきたため、多くの庚申塔が残されています。
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 この庚申塔はとても珍しい庚申塔です。昭和になってから建てられています。1980年に建てられているので、それまでこの地域では庚申信仰が続けられてきたとう証明になります。まだ庚申講が行われていたなんて、驚きの事実です。
 庚申塔は墓石とほとんど同じ、角柱タイプです。今の時代では、石屋に青面金剛を彫ってもらうように頼んでも、彫ることができないのかもしれない。
 造立は昭和五十五庚申年、五月吉祥日と書かれてあるので、1980年(昭和55年)10月ですね。
 台石には、岩井口講中と書かれてあり、吉田、相澤、松原、山下、松本、島崎の名字が確認できました。圧倒的に吉田が多かったので、この地域には吉田姓が多いのかも。松原姓はもしかして、十劫寺の関係者かな?
三浦半島観光地図:三浦市南下浦町上宮田・十劫寺
 すでに死語と化していますが、「話は庚申の夜」なんていうことわざがあります。庚申の夜は眠らないため、話があればその時にしましょうということです。
 庚申の夜に、話をするのではなく、子作りに励んでしまったらどうなるかというと、子供が出来てもその子供は泥棒になったり、身体に障害を持って産まれると言われ、庚申の夜の子作りは禁忌とされていました。
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 この庚申塔がもっとも目を惹かれました。造立は明治時代で新しい庚申塔なんですが、彫刻がとても立派で迫力があるんですよ。しばらくの間、見入ってしまいました。それほど魅力的な庚申塔です。
 石塔そのものは駒形タイプで、良くある形ですね。将棋の駒の形です。
 主尊は青面金剛なんですが、この青面金剛がとても立派なんですよー。剣、鉾、弓矢を持っていますが、なんと腰に龍を巻いているんですよ!龍が描かれているというのは、海の近くに建つ庚申塔なので水神的な意味合いがあるのかもしれません。
 下の方には、這いつくばった邪鬼と、三猿が彫られています。
 造立は明治五壬申年、二月吉祥日とあったので、1872年(明治5年)2月でしょう。
 庚申講は神事であるため、さまざまな禁忌があります。庚申講に限らず、神を祭る時には、多くの禁忌が定められていました。
 肉類を食べることは、もちろん厳禁です。ニラ、ネギ、卵などの生臭いもの、匂いの強いものは食べてはいけないと言われています。行事が始まる前には入浴を済ませて身を清め、洗濯したての衣類を着なければいけないとも言われています。
 山、海、田などに仕事に出掛けてはいけないとか、肥料を扱ってはいけないなど、さまざまな掟がありました。
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 この庚申塔には笠がない角柱タイプですが、実際には笠付きの角柱タイプだと思います。笠が付いていた痕跡が残されているので。車が衝突して倒れた時に、笠が紛失したとか・・・
 主尊は青面金剛です。やっぱり邪鬼と三猿が描かれています。
 造立は元文五申甲正月十八日とあるので、1740年(元文5年)1月でしょう。
 庚申講のことを考えると、いつも亡くなった祖父のことを思い出します。お盆、お彼岸、お正月には、釣りに行ってはいけないと言われていました。学校に通っていると、どうしても釣りに出掛けられる日というのは、夏休み、春分・秋分の日、冬休みになってしまうのですが。
 盆、彼岸、正月には、先祖の霊がやって来る日なので、そういった日には生き物を殺したりしてはいけないんだと教えられました。釣りに行けば釣りエサを殺すことになり、さらに釣った魚も殺すことになるので、そういった行為を先祖の霊に見られてしまうからだそうです。
 先祖の霊に生き物を殺す姿を見られてしまった結果、私のような出来損ないの大人になってしまいました(^^;)
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 この庚申塔のデザインも特徴的です。外枠が作られており、主尊の青面金剛は小さいですねー。三浦半島では青面金剛が大きく彫られていることが多いので、他の庚申塔とは異質な印象を受けます。
 板状の駒型タイプの庚申塔です。主尊は青面金剛で、やはり邪鬼を踏み付け、下には三猿が描かれています。
 造立は元文二丁己天、六月初三日とあるので、1737年(元文2年)6月でしょう。
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 修復したのかな?石材の色がちょっと違うんだけど・・・
 笠付の角柱タイプの庚申塔です。主尊は青面金剛で、足元には猿が1匹。良く見てみると、右側面と左側面にもそれぞれ猿が1匹。3面合わせて初めて、三猿になります。これもちょっと変わったデザインを持つ庚申塔です。どうしてこの地区にだけ、変わったデザインの庚申塔が集中しているんだろう・・・
 主尊は青面金剛です。
 造立は元禄十弐天卯閏九月十五日とあるので、1699年(元禄12年)9月かな。
写真撮影:2008年02月29日

庚申塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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庚申塔
庚申塔
 なぜか傾いていて、今にも倒れてしまいそうな庚申塔。台の部分が傾いているのかなと思ったけれど、良く見てみると庚申塔の下の方で最初から傾きを持たせて作られています。なんでわざわざ、傾いた庚申塔を建てたのでしょうか・・・
 舟型タイプの庚申塔といっていいのかな?形はちょっと微妙なところです。
 主尊は青面金剛です。青面金剛と三猿の間が欠損してしまっています。もしかしたらここに、邪鬼が描かれていたのかもしれません。
写真撮影:2008年02月29日

六十六部塔 京急三浦海岸駅下車 徒歩数分
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六十六部塔
六十六部塔
 一番右端にある石塔は、庚申塔ではなく六十六部塔でした。「日本廻六十六部」と書いてありました。庚申塔とはちょっと意味合いの違う石塔です。
 「六十六部」は「六部」とも言われ、六十六部廻国聖のことです。日本全国66ヶ国を巡礼し、1国1ヶ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者のことです。中世には専業宗教者が一般的でしたが、山伏と区別の付かない場合もあります。近世になって庶民も廻国巡礼を行うようになりました。
 六十六部廻国巡礼の風習がいつ、どのように始まったのかは、はっきりしません。縁起として知られているのは、『太平記』です。北条時政の前世は法華経66部を66ヶ国の霊地に奉納した箱根法師で、その善根により再び生を受けたと説かれています。中世後期から近世にかけては、源頼朝、北条時政、梶原景時など、鎌倉幕府成立期の有力者の前世を六十六部廻国聖とする伝承が定着していました。六十六部廻国巡礼の起源が関東にあるようです。
 13世紀前半には、六十六部廻国が行われていたことが確認できます。さかんに行われるようになったのは室町時代以降で、特に近世です。
 六十六部廻国聖による納経は、1国1ヶ所が原則的ですが、1国内で66ヶ所を巡って簡略化したり、1国66ヶ所を66ヶ国分納経した例もあります。いずれにしても、固定された納経霊場はありません。
 近世になるとの六十六部廻国巡礼の石造物が見られるようになります。石造物の銘には関係者の名前や地名などが刻まれていることがあるので、六十六部廻国聖がどのような行動をしていたか知る手掛かりになります。
写真撮影:2008年02月29日
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