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「汽笛一声新橋を」の歌詞で知る人ぞ知る鉄道唱歌に「汽車より逗子をながめつつ、はや横須賀に着きにけり、見よやドックに集まりし、わが軍艦の壮大を」という一節があります。
明治22年6月16日、大船-横須賀間に開通した横須賀線の終着駅です。横須賀駅開業当時の駅頭風景をうまく表現しています。
当時、横須賀は右側に見えるアメリカ海軍基地内に、明治17年に設けられた横須賀鎮守府などの諸施設がある重要な海軍基地となっていました。陸軍でも、明治13年から観音崎など三浦半島沿岸各所に砲台を築いていました。しかし、人員や物資の輸送は、横浜-横須賀間の船便が頼りでした。
明治19年6月、陸海軍は、鉄道敷設の必要性を記した請議書を海軍大臣西郷従道、陸軍大臣大山巌の名を連ねて総理大臣伊藤博文に提出しました。この求めに応じて、鉄道局は明治20年に測量を開始し、明治21年1月に工事を始めました。工事費は明治19年から始まっていた東海道線建設費から40万円支出しました。当初の終着駅は観音崎付近へとの要望がありましたが、さらに5万円〜10万円の予算が必要な上、市街地を通さなければならないなどの理由から、現在地となりました。
現在の駅舎は、昭和15年に新築されましたが、大正3年に改築した駅舎の面影を良くとどめています。
開業当時、汽車は約1時間ごとに発着し、東京-横須賀間は約2時間でした。客席は、一等、二等、三等とあり、煙突の長い機関車が引いていました。三等で運賃は39銭。当時の米価が1升11銭前後だったので、かなり高かったようです。
昭和19年4月、軍の求めにより横須賀-久里浜間も開通しました。 |
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駅構内に階段が無いことが横須賀駅の特徴になっていて、かつて駅のスタンプにも「階段のない駅」の表記がありました。明治時代に時代を先読みしたバリアフリー型の駅です。でも実際には、物資の輸送用に作られたため、階段がない方が便利なためにこのようになりました。
乗客数は、明治40年ごろで1日平均1,843人と、2005年度で1日平均6,159人です。
かつて横須賀駅と、衣笠駅の間には、相模金谷仮乗降場がありました。横須賀の海軍工廠へと通う人たちの便宜を図るため、勤めている人の住宅の多い場所に仮乗降場を作りました。 |
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現在の横須賀線の主力車両E217系です。銀色で、スカセンカラーのラインが入っています。個人的には、いかにも鉄板で作っている戦車のような形をした、以前の113系車両の方が好きなんですが・・・
昔の横須賀線のトイレって、垂れ流し式で、線路が見えたんですよね。駅に停車中はトイレの使用は控えてくださいとかアナウンスがありましたが、そうそううまくウンコをコントロールできるわけもなく・・・
横須賀線、総武快速線の主力車両で、東海道本線でも見ることができます。軽量ステンレス車体、2階建てグリーン車が特徴的です。 |
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