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南東に伸びる尾根上に位置し、南側に張り出した平坦面の南端に築造されています。1952年12月に横須賀考古学会によって埋葬施設が発掘され、1983年12月には横須賀市立人文博物館によって墳丘の測量調査が行われました。
墳丘は楕円形の円墳で、長径約12.5m、短径約10mです。封土の流失が激しく、現在は高さ1m程度しかありません。
埴輪や葺石などの外表施設はありませんが、墳丘の東西には周溝の一部と思われるくぼみがあります。
埋葬施設は、墳丘の中央に構築された凝灰岩切石組みの箱式石棺です。ほぼ南北方向に作られ、内側は南北2.57m、東西86cm、深71cmです。蓋石はすでに失われているため不明です。妻石は切石の2段積み、側壁は東側が3枚、西側が2枚で、底面は4枚の切石で作られています。
副葬品については、幾度かの盗掘を受けていましたが、直刀、刀子、鉄鏃(てつぞく、やじりのこと)、金銅製弓弭金具、鑿状鉄製品、金銅製刀装具、銅製薄板などが見付かりました。
埋葬施設の構造や副葬品などから、7世紀前半ごろに作られたと考えられています。 |
| 写真撮影:2005年12月06日 |
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決して、海で拾ってきたゴミではありません。
鑿は、「のみ」と読んでください。青銅器ですら貴重な時代に、鉄製の鑿の副葬品が出土するということは、かなりの驚きです。
古墳時代末期、三浦半島内でかなりの有力者の古墳だと思われます。
たぶん、この山の名前が「かろうと山」なのではなく、石組みの石棺が見つかったことから「唐櫃山古墳」と名付けられたのだと思います。唐櫃と書いて、「かろうと」と読むのですが、読み方が難しいからひらがなにしたのではないかと。 |
| 写真撮影:2006年12月13日 |
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弭と書いて、「ゆはず」と読みます。日常生活では絶対に使わない言葉ですね。
弭は弓の両端に付けられるものです。弓の弦を張るため使われます。おそらくは弓を副葬品としたのだと思いますが、弓は朽ち果て金属製品のみが残ったのだと思われます。
金銅製の弭なんですが、金銅製とは、銅で作られたものに金メッキを施したもののことをいいます。金と銅の合金ではありません。金と銅の合金は赤金(レッドゴールド)なんて呼ばれたりします。 |
| 写真撮影:2006年12月13日 |
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