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大津の総鎮守、諏訪神社です。
祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)です。その他に、学問の神様の菅原道真など、十神を祀っています。
創建は平安時代初期の824年(天長元年)。信濃の諏訪大神を勧請し、この土地の守護神としました。
諸業開発、守護、武勇の神様として広く崇敬されていました。雨乞いに霊験があるともいわれ、村人たちからの信仰も厚かったとのことです。
平貞盛、三浦大介義明、向井将監などが祈願奉納、社殿修復をしています。戦前は軍部の参拝も多くありました。衣笠城の三浦大介義明が勅命によって那須の原野へ狐退治に行く際に祈願をして出かけると、首尾よく金毛九尾の狐を射落とすことができたという伝説もあります。
三浦半島の歴史:人物事典・平貞盛
三浦半島の歴史:人物事典・三浦大介義明
三浦半島の歴史:人物事典・向井将監 |
| 撮影:2006年12月02日 |
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昔はこのあたりは幽境の地で、境内後方の神岳は蛇沼山といい、空海が巡礼のおり、山頂から雄大な景色を見渡し「是正東海一之密行之境也」と言っています。
1924年(大正13年)、関東大震災により社殿は全壊しました。諏訪神社のほかの神社もほとんどが被害を受けたため、矢の津神社を1000円で買い取り、竹沢の神社を1500円で買い取り、天神坂の天神社などを合祀して1925年(大正14年)に再建しました。
祈年祭(生産・勤労祈願)が春分の日に、例祭が8月26日・27日、新嘗祭(生産・勤労感謝)が11月23日に執り行なわれます。
かつでは境内で三浦相撲が行われ、人気がありました。大津の相撲、三浦市初声下宮田の相撲、葉山の森戸の相撲の3つで「三浦の三大相撲」よして、古くから有名でした。現在では奉納相撲は行われておりません。
三浦半島の歴史:人物事典・空海
三浦半島の歴史:1923年-関東大震災 |
| 撮影:2006年12月02日 |
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新編相模国風土記稿によれば、文殊菩薩を鏡に鋳出した伝教大師の作と伝えられる像があったといわれています。明治以前には、神社の別当寺として、不動明王を本尊とする諏訪山文珠院青蓮寺があったといわれていますが、神仏分離によって廃寺になっています。
地元では「大津のお諏訪さま」と呼ばれ親しまれています。最近では、「すわじん」と略されることが多いようです。
以前、大鵬が訪れたこともあるそうです。 |
| 撮影:2006年12月02日 |
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金毘羅神社(琴平神社) |
京急新大津駅下車 徒歩10分
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祭神は大物主神。
航海の神様、雨乞いの神様です。
香川県の金刀比羅宮を総本社としています。江戸時代に海運が盛んになると、海運業者や商人などの手によって、日本各地に作られました。 |
| 撮影:2006年12月02日 |
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祭神は宇迦之御魂神。
五穀豊穣、商売繁盛の神様です。
安産守護の子安石を合祀していました。ヒョウタンに似た形をした淡黒色で、長さ一尺三寸、径一尺あまりの石があったと伝えられています。残念ながら、現在は消失してしまいました。誰か盗んだのか、漬物石にでもなってるのかな? |
| 撮影:2006年12月02日 |
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菅原道真一千年記念歌碑 |
京急新大津駅下車 徒歩10分
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菅原道真千年祭を記念して、大津保込(ほごめ・現在の大津町5丁目町内会館)23人の有志によって、明治35年、保込天神社に建立しました。その後、大正13年に諏訪神社に合祀されました。
碑文は以下のように書かれています。
「贈大政大臣正一位菅原公の、千年祭におもふよしありて、よみてたてまつれる」
「みつかひを、とどめざりせば、とどまらじ、からにうつろふ、やまとこころは」
歌のだいたいの意味は、「遣唐使を断らなければ、藤原時平等の中傷により配流という不運な目に遭ってはいなかったのではないか。唐の地に思いをはせていた菅原道真の誠実な大和魂はいかばかりであったのだろう。」といった感じです。
三浦半島の歴史:人物事典・菅原道真 |
| 撮影:2006年12月02日 |
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とてもカワイイ狛犬が諏訪神社をお守りしています。
この神社の狛犬は、左右の狛犬で夫婦のようです。どちらの狛犬にも、下に子狛犬がおり、親狛犬が見守っている形になっています。その姿には、ほのぼのとする雰囲気があります。
外見的印象では、口を開けている狛犬は父親のようです。力強い体つきと、鋭い眼光が特徴的です。口を閉じている狛犬は母親のようです。ややふくよかな体つきをしており、優しそうな顔で、子供を見つめています。
今まで見てきた狛犬の中でも、ナンバー1の出来です。 |
| 撮影:2006年12月02日 |
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