横須賀市久里浜の八幡神社

横須賀市

久里浜駅から佐原方面へと向かう幹線道路沿いに建っている久里浜八幡神社。
京急久里浜駅からは徒歩で10分かかるかかからないかくらい。途中でほとんど閉じることのないJR横須賀線の踏み切りがあります。駐車場はないっぽいので、電車が便利です。

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■ 由緒

祭神は応神天皇です。天照大神、須佐之男命、大物主大神、大山̪祇大神、菅原道真が合祀されています。
日本書紀が書かれた720年(養老4年)、当寺の武人たちによって創建されたと伝えられています。
応神天皇は仲哀天皇と神巧皇后との間の皇子で、239年第15代天皇です。大和国と九州を統合し、日本統一国家の基礎を作り、その治世には新しい産業文化の育成を図ったことから、技術導入にも熱心で、先進的なことや発展的なことにご利益があるとされています。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉は天下統一の最後の小田原攻めによって三浦の北条氏を滅ぼして鶴岡八幡宮に祈願し、栗浜(現在の久里浜)八幡神社には米3石を寄進しています。
徳川歴代将軍もこれにならい、武運長久祈願に武具などを奉納し、幕府直轄領と定め米3石、社領約千余坪の御朱印を賜っています。

1898年(明治31年)、黒田内閣によって「八幡宮」の名を賜りました。
大正年間、神饌幣帛料供進神社に指定されました。
第二次大戦後、日本国憲法の制定によって戦前の神道が廃止され、社名はもとの八幡神社に戻して現在に至っています。

境内からは弥生式土器が出土しており、このあたりには古墳が点在していたこともわかっています。
蓼原遺跡の前方後円墳の発見は、当寺有力な豪族のもとで稲作が行われていたと考えられ、蓼原地区と八幡地区で人々が生活し栄えていたと考えられます。

■ 写真

八幡神社

八幡神社(2019年5月29日撮影)

久しぶりに訪れた久里浜八幡神社。
ポケモンを捕まえるために訪れたわけではありません。天気も良かったので、写真を撮りながら散策をしておりました。

龍

龍(2019年5月29日撮影)

イッツオートマティックドラゴンです!!
そうなんです、このドラゴンはオートマティックなんです!!
近付くと口からビューって水が出てきます。どこかにセンサーが設置されているのか、ドラゴンが気配を察して水が出てくるのか・・・
オートマティックなイリュージョンドラゴンだったんです!!

灯籠

灯籠(2019年5月29日撮影)

中子さんが奉納した灯籠です・・・
いっ、いや、違う。右から読むんだよね、氏子さんたちが奉納した灯籠です。
久里浜八幡神社には社務所もあって、お守りなどが売られていました。たぶん朱印も書いてもらえると思います。

狛犬

狛犬(2019年5月29日撮影)

ちょっとスケベそうな顔をした狛犬です。
詳しいことは良くわからないんだけど、この狛犬の彫刻をした人って200年くらい前の人だったりするんじゃないかな。今の時代の人が自分の仕事が200年後にも残っているのかというと、たぶん残ってないよね・・・
そう考えると昔の人の仕事ってのは尊いものなんだなって感じます。

拝殿

拝殿(2019年5月29日撮影)

八幡神社の拝殿です。
今日は訪れる人は私一人だけのようです。でも、初詣のときはとても混雑します。

拝殿

拝殿(2019年5月29日撮影)

大きな鈴が3個あります。
1個、2個、サンコンでぇ~す・・・(ゴメン)

海軍工作神社

海軍工作神社(2019年5月29日撮影)

たぶん地球上でたったひとつだけの神社ではないでしょうか。
海軍工作神社です。
私の勝手な推測ではありますが、海軍工作学校内に祀られていた神社をこちらに移したんだと思います。戦後に閉校となってGHQの方針で神社があるのはけしからんとなって、そのままにしておくわけにもいかず、こちらに移したのではないかと・・・

地面

地面(2019年5月29日撮影)

やっぱりこのあたりの地質は砂みたいです。
もしかしたら境内に撒いた砂だったりするのかもしれませんが、工事現場なんかを見ると砂なんですよねー。
波打ち際ってわけじゃないとは思うのですが、砂が堆積してできた陸地なのかなって思っています。

土器片

土器片(2019年5月29日撮影)

八幡神社の境内じゃないんだけど、近くで見付けた土器片。
けど、土器片にしてはサイズが大きいような・・・。屋根瓦かなとも思ったんだけど、表面に模様があるし。
ってことで、何かしらの土器片だと思います。植木鉢じゃないですよー(^^;)
八幡神社とJR横須賀線の踏み切りの中間地点あたりに古墳時代前期を中心とした八幡神社前遺跡があります。現在は住宅の下になっていますが、方形周溝状遺構(ほうけいしゅうこうじょういこう)の墳墓、円墳、建物の跡などが見付かっています。出土遺物には古墳時代前期の土師器(はじき)、中世のかわらけなどがあります。

キン肉マンの家

キン肉マンの家(2009年11月12日撮影)

キン肉マンの家です。
サインをもらおうかと思ったんですが、今は留守だったみたいです。残念!!!
忙しい方なのでしょうがないですね。試合に出ているのかもしれません。

■ 文化財

板墨画龍図天井

板墨画龍図天井(2019年5月29日撮影)

社殿天井の龍図で、格天井(ごうてんじょう)の中央部分を鏡天井として、板素地(いたそじ)に墨一色で龍の絵が描かれています。大きさは191.7cm×198.7cmで、款記から1881年(明治14年)、長島雪操(ながしませっそう)64歳の作品とわかります。
長島雪操は1818年(文政元年)に生まれ、1896年(明治29年)に没しています。久里浜の名主で文人画家でもありました。
長島雪操画の本領は、文人画の典型的画題である四君子(梅・菊・蘭・竹)などを、時に奔放とも見える斬新な筆墨(ひつぼく)、あるいは造形感をもって表現したところにあります。作品の多くは山水図屏風(さんすいずびょうぶ)、墨梅図(ぼくばいず)、松竹梅図(しょうちくばいず)などの屏風絵・掛け軸・写生画帖(しゃせいがちょう)で、龍図は唯一の板墨図です。
龍は頭部を中心に円弧状に大きくうねる姿で描かれています。背景に墨を入れて雲気(うんき)を表現し、龍の姿を明暗対比によって浮き上がらせています。全体に墨気(ぼっき)が強く、一部では濃い墨が用いられるなど長島雪操の特色が認められます。
mた、龍は筆線(ひっせん)による輪郭はなく、白抜きによって表されるため、運筆(うんぴつ)の速度や肥痩(ひそう)による躍動感は求められませんが、その難は周囲の強い隈取りによって補われ、描写はあくまで力強く表現されています。その一方で、龍の体には細かい筆が入り、鱗一枚一枚を丹念に描き込んでいます。
このようにこの龍図は雲気(うんき)の表現などに通有(つうゆう)の性格が認められますが、長島雪操最大の作品であり、独自の画風も駆使されていることから、長島雪操の代表作のひとつとして評価されます。

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