熊野神社のすぐ隣にあります。最寄りのバス停は「岩戸」下車、徒歩5分くらい。満願寺入り口の交差点を住宅地方面に下りていきます。
臨済宗のお寺で岩戸山満願寺と号します。
創建は三浦大介義明の子供である佐原十郎義連と伝えられています。
本堂左の石段を登ると観音堂があります。国指定有形文化財の観音菩薩と地蔵菩薩、横須賀市指定の有形文化財の不動明王と毘沙門天の立像が安置されていました。現在は本堂右側の収蔵庫に安置されています。
鎌倉時代初期の東国武士たちが、いかに運慶様式の像を好んだかを物語る貴重な資料といえます。
観音像は少し腰をひねって右足を前に出し、膝を軽く曲げ、穏やかな表情の中にも張りのある男性的な逞しさを感じさせます。
寄木造りの玉眼入りで、高さ224.7cm、手に持つハスの花や光背、岩座などは後に造られたものです。
観音菩薩立像は19歳の佐原義連が平家追討のために西国へ赴くとき、鎌倉時代では有名な仏像彫刻家である運慶に自分の姿を彫らせたと寺伝にあります。高い髷(まげ)、豊かな顔などは運慶作の常楽寺像と良く似ていますが、衣文(えもん)のひだは起伏を抑えて大人しくまとめられており、運慶に近い慶派仏師の作品と考えられています。
地蔵菩薩は左足を幾分後ろに引き、顔をやや斜め左方へ向けた姿勢をしています。張りのある頬、切れ長で伏し目がちな眼、引き締まった口元には若々しさを感じます。
寄木造りで玉眼入り、高さ203.7cmあり、左手には宝珠、右手には2mを超す錫杖(しゃくじょう)を持つ通常の姿で、宝珠・錫杖・光背・岩座は後に造られたものです。
全体の均整が良く取れており、逞しさの中にも穏やかな優しさを感じさせ、表現・技法には観音菩薩像と共通のものがあり、同一作者の製作と考えられます。
不動明王立像は岩座上に立ち、火焔光背(かえんこうはい)を背負い、右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)を持つ通形の像です。寄木造りで玉眼入り、高さ163cmあります。持物・光背・岩座は後に造られたものです。
毘沙門天立像は邪鬼の上に立ち、輪宝光背(りんぽうこうはい)を背負い、右手には鉾、左手は腰に当てています。寄木造りで玉眼入り、高さ163cmあります。持物・光背・邪鬼・岩座は後に造られたものです。
不動明王・毘沙門天は全体に力強さのある等身大の像で、鎌倉時代中期にこの地方の仏師によって製作されたと考えられています。
三浦古尋禄には「佐原十郎ヲ観音ニ祭リ巴御前ヲ地蔵ニ祭リ和田ノ義盛ヲ毘沙門ニ祭リ朝比奈ノ三郎ヲ不動ニ祭ルト云四尊トモ運慶ノ作」と記されています。
観音菩薩・地蔵菩薩・不動明王・毘沙門天の像は、三浦一族の仏教文化を伝える貴重な資料となります。
観音堂の右手に佐原義連の墓と伝えられる五輪塔があります。
空・風・火・水・地の輪で構成された鎌倉時代の様式を備えています。凝灰岩製で高さ174cmあります。ただ残念なことに、空・風・地の輪はのちになって補ったものだと伝えられています。
新編相模国風土記稿によると、「佐原十郎義連墓は観音堂の側にあり、五輪塔なり。高さ七尺、左右に五輪塔六基相並ぶ。」とあります。
享和年間(1801年~1083年)、三浦志摩守によって瓦土塀が修築されました。昭和59年、痛みがひどくなってきたため現在の塀に建て替えられました。
佐原十郎義連は鎌倉時代初期の武将三浦大介義明の子で、佐原に住んでいたと言われています。
1180年(治承4年)以来、源頼朝に従っています。
佐原十郎義連は約19歳で源平の合戦に参加し、一ノ谷のひよどりごえでは一番乗りの手柄を立てた勇者で、弓の名手でもありました。また、落ち着きのある武士で、源頼朝や北条家から深く信頼されていました。源頼朝の寝所の護衛を命じられたり、北条政子の弟時連が元服の際には烏帽子親を勤めたりもしています。
1189年(丈治5年)、奥州征伐に従っています。1192年(建久3年)、源頼朝上洛に従い左衛門尉に任ぜられています。
75歳で亡くなったと言われていますが、生没年代については、はっきりしておりません。亡くなったときは、多数の家臣たちが佐原義連を慕って死んでいったとも言われています。
ちょうど新緑の季節に訪れたので、緑がとても綺麗でした。
三浦一族にゆかりの寺院だけあって、そこかしこに三浦氏の家紋である三つ引き紋が見られます。
住宅地の中にある静かなお寺です。背後の山上にはお隣の熊野神社の拝殿があります。
写真映えする本堂があります。インスタ映えって言うのかな。ちょうど良い構図で写真を撮ることができました。
公式サイトも持っているみたいです。
扁額には満願禅寺って書かれてあります。
小さな縦長の額には秋の七草の第二番、撫子の寺って書いてあります。ナデシコって読みます。ブスじゃないですよ。
以前はこちらの観音堂に仏像たちが置かれていましたが、現在は使われていないようです。仏像は収蔵庫に保管されていて、事前予約をすれば見ることができます。
2006年に訪れた時は壁に穴が開いていてしまうほど傷んでいましたが、2019年に訪れた時は綺麗になっていました。リフォームしたみたいですね。
佐原義連の廟所にある墓塔。
三浦半島で見られる五輪塔としてはかなり大きなものになります。この大きさのものはなかなかありません。
凝灰岩で造られているためか、風化が激しいですね。
横須賀市指定市民文化資産に指定されている「中島三郎助筆による句碑」。
1866年(慶応2年)に建立されました。
松尾芭蕉の句が刻まれており、文字は中島三郎助の筆によります。裏面には建立年月日、建立関係者の名前が刻まれています。
当寺の中島三郎助は文武両道な人物であったことがわかる貴重な句碑といえます。
小さなおじさんが数名、庭にたたずんでいます。
満願寺って写真を撮るのが面白いお寺です。
竹林を眺めるおじさん。羅漢さんでしょうかねー。
なんか幸せそうな顔をしています。
お酒が好きそうな顔をしていますねー。
わりとよくある六地蔵です。
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