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住宅街の中にひっそりと建つお寺、教恩寺。ちょっとわかりづらいですねー。以前は材木座の光明寺境内の山際にあったそうです。
教恩寺は時宗のお寺で、開山は知阿上人(ちあしょうにん)です。中座山大聖院教恩寺といいます。小田原北条氏の3代目城主、北条氏康(ほうじょううじやす)が光明寺境内に建てたのが始まりとされています。
三浦半島には時宗のお寺さんがほとんどないので、時宗のお寺というだけでワクワクしてしまいます。時宗は鎌倉時代末期におこった浄土教の一宗派になり、開祖は一遍です。藤沢市の清浄光寺(遊行寺・ゆぎょうじ)が総本山になっています。 |
撮影:2007年02月28日 |
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山門の表梁にあった立派な彫刻、十六羅漢。鎌倉にあるお寺さんは、細かい部分までしっかりと作りこまれているなーという印象を受けました。
教恩寺近辺は、元々は米町(こめまち)と呼ばれていました。
ここには、光明寺の末寺にあたる善昌寺(ぜんしょうじ)がありましたが、いつの頃か廃寺となり、1678年(延宝6年)、貴誉上人(きよしょうにん)が光明寺境内から教恩寺をこの地に移しました。 |
撮影:2007年02月28日 |
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本堂は意外なほどこじんまりとしていました。本堂に安置されている本尊の阿弥陀如来は、鎌倉時代のもので、運慶が彫ったものだと伝えられています。
平家が滅亡し、平清盛(たいらのきよもり)の子、平重衡(たいらのしげひら)が捕らえられて連れて来られたとき、この阿弥陀如来像を源頼朝が一族の冥福を祈るようにと平重衡に与え、平重衡はこの間如来像を深く信仰したと言われています。
この阿弥陀如来像の両脇侍菩薩像は鎌倉前期のもので、神奈川県の重要文化財になっていますが、公開はされていません。 |
撮影:2007年02月28日 |
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いくつかの石塔と、石製のお社。石塔の大きさも、横須賀市や三浦市に比べるとやや大きく立派ですね。
1937年(昭和12年)、境内から古銭の詰まった古い壺が出土しました。この古銭は中国の宋や、明の時代の銅銭で、鎌倉時代や室町時代に、これらの銅銭が使われたことがわかる貴重な資料といえます。 |
撮影:2007年02月28日 |
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