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 良心寺

山門 京急追浜駅下車 徒歩8分
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山門
山門
 京急の電車の中から見えるお寺、良心寺です。綺麗な山門ですね。ここが浦郷陣屋跡の南隣に位置しますので、陣屋がどれだけ広大な敷地であったのかがわかると思います。
 なぜか参道の真ん中に車止めのような石が置かれていたので、右側を迂回して本堂に向かいました。「山門はくぐるな」ってことなのかな?
 浄土宗の久遠山良心寺です。元々は応永年間(1394年〜1428年)に曹洞宗の道場として開かれましたが、その後は無住になっていました。
 それを朝倉能登守の夫人が浄土宗の信者であったことから、浄土宗に改宗して天正3年(1575年)に復興させました。
 しかし夫人は天正11年(1583年)6月11日に亡くなってしまいました。そこで朝倉能登守は、の夫人の戒名である「大悲院殿法誉良心大姉」にちなんで良心寺と名付け、寺の基礎を築きました。

三浦半島の歴史:人物事典・朝倉能登守

お地蔵様 京急追浜駅下車 徒歩8分
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お地蔵様
お地蔵様
 お寺に入るとすぐに、2体のお地蔵様にはさまれた、2基の庚申塔が立っています。こちらの庚申塔は必見ですよ。
 手前のお地蔵様か、奥のお地蔵様が水子地蔵だそうです。たぶん手前だと思います。

庚申塔 京急追浜駅下車 徒歩8分
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庚申塔
庚申塔
 良心寺にあった、とっても立派な庚申塔です。立派でありながら、庚申塔のすべての特徴が凝縮された、素晴らしい庚申塔だなーと思いまして。といいつつも、自分自身、それほど詳しいことは知らないのですが・・・
 一番上に彫られているのが、日月です。庚申塔では、彫られているものと、彫られていないものとがあります。鳥が彫られていることがありますが、基本が日月です。
 中央には青面金剛ですね。キン肉マンに出てくるアシュラマンと同じ6本の手を持っています。剣を持ってないので、古いものではないかなって感じがします。良く見てみると、頭には馬頭が小さく彫られています。もしかしたら馬頭観音なのかもしれません。
 青面金剛が雲の上に乗っているように見えますが、良く見ると邪気の上に乗っています。
 青面金剛の左右にナメクジみたいなのが彫られていますが、これが鳥ですね。ニワトリになるのかな?キジかな?あんまりそこまではわかりませんが、鳥が彫られるのも庚申塔の基本ですね。
 その下には、3匹の三猿です。
 そして、一番下には名前が彫られています。僧侶の名前のようです。
 教科書のお手本のような庚申塔ですね。作られたのは寛文12年と彫られてありました。1672年になるので、相当古い庚申塔です。

良心寺 京急追浜駅下車 徒歩8分
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良心寺
良心寺
 シャレた感じの本堂のお寺でした。ま、まさか、創価学会系などのオカルト教団のお寺なのかなって思って、ちょっと怖かった(^^ゞ
 パコダ風のミャンマー様式の本堂です。パコダは「釈迦の住む家」とされているので、パゴダに入るときは靴、靴下、ストッキングなどを履いて入ることはマナー違反です。
 大名の菩提寺として格式の高かった良心寺も、明治になってからは普通のお寺になりました。昭和61年(1986年)、スリランカ大統領からいただいたという仏舎利(お釈迦様の骨)が本堂に祀られています。

石灯篭 京急追浜駅下車 徒歩8分
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石灯篭
石灯篭
 とっても立派な石灯篭がありました。石の質感や、造形がいいですねー。なんだかドッシリと落ち着いた雰囲気があります。
 江戸時代には格式の高いお寺で、御朱印15石を受け、江戸城にも登場することがあり、住職は大名並の待遇を受けていました。当時の駕籠が現在でも残されています。
 豊臣秀吉が小田原石橋山で発したという「制札」、朝倉能登守関連の資料など、さまざまな寺宝が残されています。

鐘楼 京急追浜駅下車 徒歩8分
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鐘楼
鐘楼
 規模の大きなお寺ですね、梵鐘もちゃんとありました。除夜の鐘を突かせてもらいたいなー。除夜の鐘って、一度も突いたことがないんですよ。
 この梵鐘の手前に一段高くなった場所があり、そこが朝倉能登守の夫人のお墓になります。
 朝倉氏が三浦半島を治めていたのは、永正13年(1516年)〜天正18年(1590年)の74年の間のいつなのか、定かではありません。浦郷村に入ってからは、まず陣屋や館を整え、道路・橋を造り、住民のための氏神様になる雷神社を再興し、この寺の基礎を築きました。

朝倉能登守の室の墓 京急追浜駅下車 徒歩8分
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朝倉能登守の室の墓
朝倉能登守の室の墓
 高さ2.1mの立派な宝篋印塔です。横須賀市の指定文化財になっています。
 基礎正面に「当寺建立、大旦主大悲院殿法誉良心大姉、朝倉能登守奥、天正11年未6月11日」と彫られていますが、宝篋印塔の形式から考えて江戸時代初期の建立と思われます。
 朝倉氏は戦国時代に小田原北条氏の家臣で、玉縄衆に属し、浦郷村追浜、伊豆、上総などに所領を持っていました。天正18年の豊臣秀吉による小田原城攻めでは、箱根の山中城を守りました。朝倉能登守景澄入道犬也のことです。
 戦国武将の夫人のお墓が現存しているのは、横須賀市では貴重な史跡になります。

石造物 京急追浜駅下車 徒歩8分
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石造物
石造物
 朝倉能登守の室のお墓近くにたくさん立っている石造物です。
 朝倉能登守は、後北条氏と共に滅びたのか、行方知れずとなり、お墓もこの寺にはありません。かつて、岡山県から朝倉能登守の子孫と名乗る人が寺を訪れたことがあったというので、そのあたりに落ち延びていたのかもしれません。
 朝倉能登守がどこで亡くなったのか、現在でもわかっておりません。
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