朝倉能登守の追浜における政治的業績は、地元で見ることはできません。ですが朝倉能登守の名は、『関八州古戦録』、『北条記』などに、時々登場します。関東でも名前の知られた、弓矢と馬術の名人だったようです。
北条氏勝に従い、江戸、河越、伊豆戸倉など、数度の合戦にも参戦し、「戦さ奉行」、「戦さ家老」などの異名を持ちました。駆け引きがうまく、勝利を得ることをもっぱらのたしなみとする武将でした。
天正18年3月、徳川家康によって箱根の山中城が落城に追い詰められた際、切腹寸前の北条氏勝を抱き止め、その場で「我は犬也(丈也かも)」と称し、剃髪しました。
三浦半島の歴史:人物事典・北条氏勝
三浦半島の歴史:人物事典・徳川家康 |