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明王院


明王院

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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明王院
明王院

 明王院の入り口に立ててある石碑です。読めない人もいるかもしれないので、何て書いてあるか解説すると・・・、「五大堂明王院」って書いてあります。っていっても、自分も読めないんだけどね。
 五大堂明王院は古義真言宗のお寺です。正式には、飯盛山寛喜時明王院五大堂って言います。京都仁和寺の末寺で、大行寺とも言います。鬼門除け不動とも呼ばれています。
 左下にも小さな看板があり、こちらは鎌倉グリーンテニスクラブって書いてあります。細い路地を行った先に、テニスコートがあります。
 明王院の近くに、梶原屋敷跡の井戸や、大江広元の墓があるらしいんだけど、どうやって行くのか場所が良くわからないので行けませんでした。

写真撮影:2009年02月17日

冠木門

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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冠木門
冠木門

 明王院の入り口です。とってもシンプルですが、お寺の雰囲気と良く合っていると思います。
 こういった門の形を、冠木門(かぶらぎもん)って言うんだと思います。冠木(笠木)って呼ばれる横木を、2本の門柱の上方に貫いて渡してある門のことです。屋根はありませんが、扉が付いている門もあります。
 1231年(寛喜3年)、鎌倉幕府4代将軍藤原頼経(ふじわらよりつね)が、創建を企画しました。発願した年号から、寛喜寺(かんぎじ)としました。鎌倉幕府では1219年(承久元年)に将軍実朝が暗殺され源氏の家計が途絶えているので、頼朝の東遠に当たる藤原頼経が迎えられて将軍になっていました。
 当初は永福寺(ようふくじ)、大慈寺(だいじじ)のあった二階堂、浄明寺あたりと決め、執権北条泰時、連署北条時房、陰陽師らと現地を検分しました。しかし、大慈寺に対しる位置関係に問題がありました。そのため、長谷の甘縄に場所を変えましたが、大火があり北条泰時の法華堂が焼失したので、建立を見合わせました。
 翌年の1232年、再び創建の話が持ち上がり、現在地の梶原屋敷跡に決まり道路工事から始まりました。寺が建てられたのは、さらに3年後です。
 この場所は政所から見て鬼門の方位にありました。鎌倉の安泰を願った幕府は、鬼門除けと祈願寺として五大明王を祀りました。それぞれの明王には大きな堂があったことから、五大堂と呼ばれました。

写真撮影:2009年02月17日

本堂

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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本堂
本堂

 いいですねー、すごくいいです。かやぶき屋根の本堂です。
 鎌倉の十二所には、茅葺き屋根が似合いますねー。地元で史跡巡りをしても茅葺き屋根の建築物を見る機会がないので寂しいなーと思っていたので、とてもうれしいです。
 寺伝に寄れば、1235年(嘉禎元年)、京都の東寺から定豪(じょうごう)を迎えて開山として、五大明王を祀る五大堂が建てられ、明王院と呼ばれるようになりました。
 明王院別当式は四住職のひとつで、鶴岡八幡宮、永福寺、勝長寿院と並ぶ重職でした。
三浦半島観光地図:鎌倉雪ノ下・鶴岡八幡宮
 鎌倉幕府や鎌倉御所の時代、祈祷所として保護され栄えました。総門、唐門もある大きな寺でした。その後は衰えてしまいます。大寺院だった当時をしのぶことはできませんが、本堂と、本堂右手の建物は、茅葺き屋根の建築で特別な趣きがあります。

写真撮影:2009年02月17日

本堂

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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本堂
本堂

 茅葺き屋根って、維持管理にお金がかかってしまうので、現在では使われなくなってしまいました。明王院の茅葺き屋根の管理も、大変なんじゃないかなーと思います。何もしないでいると、痛みも早くなっちゃうし。
 かつては茅葺き屋根だった寺院建築でも、現在は瓦葺き屋根になっているのがほとんどです。
 子供の頃から茅葺き屋根の家なんて見かけなかったけど、茅葺き屋根の建物を見ると、懐かしいなーっていう気持ちになります。
 本堂の格子状の窓は、蔀戸(しとみど)になっています。上半分が内側に開くみたいです。金具を使って上に釣り上げます。アルプスの少女ハイジでは、木の棒を使って戸を持ち上げるのと同じような感じのものです。これもまた、優雅な印象があっていいですね。

写真撮影:2009年02月17日

明王院

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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明王院
明王院

 本堂横の建物も、茅葺き屋根になっています。
 本尊は鎌倉時代末期の不動明王です。不動明王を中心に、降三世(こうざんぜ)、大威徳(だいいとく)、金剛夜叉(こんごうやしゃ)、軍荼利(ぐんだり)の五大明王が祀られています。脇には薬師如来、大日如来、藤原頼経像が安置されています。薬師如来は鎌倉時代、藤原頼経は室町時代後期の作です。
 寛永年間(1624年〜1644年)の火災によって、不動明王以外の4明王は焼失してしまいました。4明王は1712年(生徳2年)の作です。
 五大尊明王を祀るのは、鎌倉市内では明王院だけになります。明王は密教の教主、大日如来の命を受け、怒りの姿ですべての魔障を降伏させるという尊像として、平安時代から人々の信仰を集めてきました。
 この他にも、1653年(承応2年)に作られた弘法大師、大倉稲荷社のご神体で江戸時代に作られた稲荷明神像、茶吉尼天(だきにてん)などの寺宝があります。

写真撮影:2009年02月17日

境内

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境内
境内

 明王院の境内、とても綺麗でしたよ。無理矢理に整備していて、綺麗になりすぎちゃって近付きづらいっていう雰囲気はないし。かといって、管理されていないわけでもないし。
 親しみやすい雰囲気がありました。
 寺宝の法華堂文書は公開されていませんが、1284年(弘安7年)の関東御教書から1世紀半におよぶ20通ほどの貴重なものです。
 1281年(弘安4年)の元寇の際、異国降伏の祈祷が行われました。

写真撮影:2009年02月17日

境内

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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境内
境内

 お地蔵様と、ウメと、茅葺き屋根の明王院。いい雰囲気ですねー。明王院では結婚式を開くこともできるんですよ。
 毎月28日午後1時から、護摩法要が行われています。
 坊主頭で、右手には錫杖を持っていて、左手には宝珠を持っているので、地蔵だと思います。講中って書いてあるので、講を組んでいた人たちから奉納されたものですね。

写真撮影:2009年02月17日

明王院

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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明王院
明王院

 明王院の手前には、「二ツ橋」があります。その下には2個の大きな石があり、五大堂に使われていた礎石の一部です。
 橋から落ちても怪我をしないで済むので、地元ではお不動様のおかげと言われ、「不動けがなし石」と呼ばれています。

写真撮影:2009年02月17日

庫裏

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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庫裏
庫裏

 朱印が欲しい人は、ココでもらえます。貰えると言っても、タダでもらえるわけじゃなくて、有料なんだけど。
 オリジナルの朱印帖が売られているみたいです。せっかく朱印を集めるなら、シンプルな朱印帖ではなくて、ちょっと高そうな朱印帖を使うのがいいんじゃないかなって思います。その方が記念になるし、長く使うことになる物だし。
 明王院の朱印帳は、かなりアートな感じのデザインになっています。好みが分かれるかもしれませんが、人と違った朱印帳が欲しいという人には最適かなと思います。
 ちょっと変わった朱印帖が欲しい時は、土産物店を探すか、和紙店、大きな神社に売られています。

写真撮影:2009年02月17日

庚申塔

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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庚申塔
庚申塔

 宇宙人の胎児のように見えるかもしれないのですが・・・
 いちよコレでも、三猿です。Three wise monkeysです。見ざる、聞かざる、言わざるの、聞かざる担当です。良く見れば、耳を塞いでいるのがわかると思います。
 見ざると、言わざるは、確認できませんでした。かなり傷んでいた石塔なので、風化して土や砂に戻ってしまったのかも。
 三猿が彫られていることから、庚申塔だろうと推測してみました。たぶん、当たっていると思います。年代なども確認できませんでした。

写真撮影:2009年02月17日

一願水掛不動尊

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一願水掛不動尊
一願水掛不動尊

 石碑には、一願水掛不動尊って書いてありました。
 かなり傷んでいる不動明王だなーなんて思いながら、写真を撮っていました。白くなっていた部分があったので、鳥の糞でもひっかかったのかなとか・・・
 しかーし、その理由がわかりました。水をかけて願掛けをする不動明王でした。白いのは水垢かな、水をたくさんかけるので、自然と白くなっちゃうんじゃないかなって思います。石から出てきたミネラル分かな?
 でも、水をかけている人は誰もいなかったので、私は水をかけませんでした。なんとなく、いきなり水をかけるのは神仏に対して失礼かなーなんて気がして。

写真撮影:2009年02月17日

おやしろ

バス停泉水橋下車 徒歩3分
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おやしろ
おやしろ

 木製の小さなホコラです。屋根は銅板で出来ています。
 祠の中に木製のお札があり、そこに何か書かれていたんだけど・・・。チェックし忘れてしまいました。
 明王院入り口に案内看板があって、そこに英語の説明も書いてありました。自分では日本語訳はサッパリわかんないけど、書いときます。
 GODAIDO MYOOIN
 This temple was established in 1235 by Yoritsune Fujiwara, the fourth general of that clan.
 It was one of the largest temples of the time.
 Located at the mortheast of Kamakura, a forbidden direction, its purpose was to placate the demons believed to be living in that direction.

写真撮影:2009年02月17日
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