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佐助稲荷神社下社
佐助稲荷神社下社
佐助稲荷神社の参道手前にある下社です。
古くから佐助川の水源に農業神として祀られてきたのが佐助稲荷神社の前身です。
鶴岡八幡宮の飛地境内社でしたが、1909年(明治42年)に独立しました。
祭神は宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、佐田彦命(さるたひこのみこと)、大宮女命(おおみやひめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)です。
祭礼は2月初午の日に行われます。
神徳は商売繁盛、病気平癒、学業成就ですが、佐助稲荷神社下社では特に十一面観音による縁結びになります。
伊豆の蛭ヶ小島に配流中の源頼朝が病に伏した時、翁の姿を借りた「隠れ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ挙兵を勧めました。源頼朝は託宣に従って旗揚げし、戦功を納めました。
のちに頼朝は「隠れ里」と呼ばれるこの地で祠を見付け、畠山重忠に命じて社を建てさせました。
佐殿(すけどの)と呼ばれていた頼朝を助けたことから、「佐助」の名が付いたと言われています。
●相州鎌倉隠里 佐助稲荷神社由緒
当社は源頼朝公の再建せし古社にして御祭神は宇加御魂命(うかめみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、佐田彦命(さるたひこのみこと)、大宮女命(おおみやめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)。
往古頼朝公伊豆蛭ヶ小島の配所にて、平家討伐を日夜念じをりし折、稲荷の大神気高き老翁の姿にて夢に現れ給い、挙兵をうながし、その時期を啓示し給えり。
頼朝公天下一統の礎を固めし後、稲荷神霊の加護に感謝し畠山重忠に命じ、佐介山隠れ里の霊地を選び社殿を造建せしむ。人々の信仰きわめてあつく、出世稲荷としてその御神徳は広く関東一円に拡がりたり。
さらに寛元の頃(13世紀中)鎌倉に疫病流行せし時、佐介稲荷の大神再び奇瑞を現し給い、霊種をして薬草を生ぜしめ病苦の者、ことごとく癒し給いぬ。
以来、神威更にかがやき、商売繁盛、病気平癒、大漁満船、学業成就の霊験顕然たり。
例祭 2月初午 正午
●縁結び十一面観世音菩薩
徳川時代、足柄郡の尼寺から縁あって当地に安置された木像十一面観音は、良縁にうすく、諦めて仏門に入られた美しい姫君、赤松幸運がこの世の若い男女に良縁あらんことをと祈りつつ彫られたと伝えられています。
佐助稲荷神社|鎌倉市佐助
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佐助稲荷神社の紅葉|鎌倉市佐助
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鶴岡八幡宮|鎌倉市雪ノ下
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JR鎌倉駅下車 徒歩20分
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佐助稲荷神社下社の写真
「佐助稲荷道」と「銭洗弁財天道」と刻まれた2基の石柱があります。
銭洗い弁財天へ行く道と違うじゃないかと思うかもしれませんが、途中で右に曲がる道があって、その道を進むと銭洗い弁財天の裏側に通じています。
佐助稲荷神社の下社になります。
多数の鳥居が建ち並ぶ参道の手前にあるので、必ず通る場所だと思います。
今日は誰もいないみたいです。
観光客は目の前に佐助稲荷の鳥居が見えるので、こちらには立ち寄らずに鳥居の参道に吸い込まれて行ってしまうみたいです。
佐助稲荷に行く前に、こちらでお参りしていきました。
ここで朱印を書いてもらえる日もあるみたいです。
お守りなども売られているようですが、本日は定休日のようです。下社じゃなくて、上社にいるって張り紙がありました。
由来の書かれた案内看板。
何が書かれているのかは、このページの上の方にまとめて書いておきました。
何かの顕彰の石碑なんですが、見たことのない字が使われていたりして読めませんでした。
「□保義顕彰之碑」って書いてありました。
縁結びのご利益がある十一面観音菩薩。
今のところご縁がないので、縁が結ばれるように真剣にお参りしてきました。
扉を開けると十一面観音菩薩像が安置されていると思うのですが、勝手に開けるわけにはいかないので我慢しました。でもきっと、ご利益が得られるはずです。
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