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しもたぁ〜、橋の写真を撮り忘れたぁ(>_<)
夫婦橋ができたのは、現在から340年前の1667年に、内川新田開発工事までさかのぼります。もしろん砂村新左衛門のによります。この橋は新田開発にともなう潮除け樋(しおよけとい)として造られたもので、人の交通のために造られた橋ではありません。
幾度もの失敗を重ね、完成したのは1667年(寛文7年)になります。この時、生きた人間も橋脚と共に沈めたという人柱伝説が残っています。史実かどうかは定かではありませんが、人の持つ魂が橋脚を強化するために効果があると考えられていた時代でした。
橋脚の間には開閉のできる掛戸が付く構造となっていました。大正の頃まで、この橋には掛戸の開閉や修理を行う橋番と呼ばれる橋守がいました。両岸に番小屋があり、常に橋を監視し、掛戸の開閉や、掛戸の修理を行っていました。
夫婦橋の名前の由来は、川の中央に中島を築き、それを仲立ちとして2つの樋橋が架けられたことによります。
現在の橋は道路計画と、河川改修計画の実施によって架け替えられたものです。専門家を交えた委員会を設置し、周囲の景観と調和、橋が持つ歴史性を考慮してデザインされました。親柱や柱詰めの松は、夫婦橋の名前の通りに、仲睦まじく寄り添う夫婦の姿をイメージしています。全体は和風で統一され、丸みのある親柱と、親柱の照明灯の色は温かみのあるものにされています。
三浦半島の歴史:横須賀市久里浜・内川新田開発記念碑
三浦半島の歴史:人物事典・砂村新左衛門 |
| 撮影:2006年09月10日 |
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