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神社の伝承によれば、1380年(康暦2年)3月23日、この地の領主であった横須賀城主(長峯・現在の米軍基地内)・三浦貞宗(別名・横須賀貞宗)が、信濃の国(現在の長崎県)諏訪から、上下諏訪明神の霊を迎えて建てたとあります。
三浦氏が滅んだ後は、その祭祀権は地頭郡代を指導者とする村人達に移りました。
徳川家康が江戸に幕府を開いた3年後、1606年(慶長11年)2月27日、代官長谷川三郎兵衛の発起で、社殿と境内の大改修が行われたと伝えられています。
以後、長い間、代官の三浦郡中鎮守の遥拝願所となりました。村人も協力して、神社を立派に維持し続けました。
三浦半島の歴史:人物事典・三浦貞宗(横須賀貞宗)
三浦半島の歴史:人物事典・徳川家康
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| 撮影:2006年12月05日 |
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相殿 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪大神社内  |
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こちらは相殿でしょうか。
祭神は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、白日命(ひらひのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、賀夜奈留美命(かやなるみのみこと)。
このほかにも、小さな石造の祠がいくつかあります。
諏訪大神社の祭神は、健御名方命(たけみなかたのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の2柱です。
健御名方命は武勇に優れた神様で、東国の守り神と言われています。
事代主命は、恵比寿様とも呼ばれ、開運の神様として広く知られています。
健御名方命、事代主命は、共に大国主命(おおくにぬしのみこと、大黒様のこと)の子にあたります。日本の先住民族蝦夷を征服して、出雲という部族連合国家を建設し、日本古代国家の基礎を築きました。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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灯篭 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪大神社内  |
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キノコの形をした、非常に変わったデザインの灯篭です。さまざまな石塔のデザインを寄せ集めて造った、寄せ燈篭と呼ばれる燈篭です。寄せ集めた石材で作ることもありますが、最初から寄せ燈篭として造られているようです。
なかなか新鮮味があって良い燈篭ですね(^^)
健御名方命は山神で、狩猟と採取経済とによって山を生活の場とした部族の祖神でしたが、後にこの部族の経済の発展に伴って農耕の神様ともなりました。
元末山での狩猟で、射撃の上手な部族の神だったので、のちに武士からも崇敬されました。
出雲の国から、周防に渡り、後に伊勢から美濃を経て、信濃に入り蝦夷を征服して、諏訪の神となりました。ご神体矢に、神霊を祭ってあります。
三浦半島の歴史:歴史基礎知識・石造美術 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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大震災非難記念碑 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪大神社内  |
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ここでも関東大震災の被害が出たようですね。周辺の人々は、この高台の広い敷地内に非難したのでしょう。ここなら津波の心配もいりませんし。
どこの神社やお寺などに行っても、関東大震災に関する石碑を見かけるので、そのたびに色々なことを考えさせられます。当時よりも増えた人口で、同じ規模の地震がきたらどうなってしまうのでしょうか。
かつては、軍艦千鳥の遭難記念碑もありましたが、現在は失われています。記念というほどめでたい出来事ではありませんが・・・
事代主命は、もとは北九州から丹波・丹後地方を勢力範囲とした漁猟部族蜑族(たんぞく)の祖神です。
航海漁猟を得意とした部族なので、自然と貿易によって富強となりました。その祖神事代主命が恵比寿様といって、漁業商業の守護神として祭られているのはそのためです。
蜑族(たんぞく)は富山湾から、姫川をさかのぼって上高地の下の旧湖水で生活していました。後に、そこを干拓して農地として諏訪湖に移り水上生活をしました。
事代主主は下諏訪から、勧請御神体玉に神霊を祭ってあります。
三浦半島の歴史:1923年・関東大震災
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| 撮影:2006年12月05日 |
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狛犬 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪大神社内  |
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狛犬です。この諏訪大神社は、実に興味深い石造物たちが建ち並んでいます。他ではあまり見かけない感じのものが多いので、行ってみたら、ぜひさまざまな石造物たちに目を向けてみてください。
神社前の坂道は、横須賀村と呼ばれていた頃まで、浦賀道に通じる主要道路でした。
正式名称として、浦賀道という道は存在しません。昔の人々も、浦賀道という言葉は使っていなかったようです。
かつての三浦半島の中心地、浦賀に通じる道として利用されていた道を、現在になって浦賀道と呼ぶようになりました。 |
| 撮影:2006年12月05日 |
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狛犬 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪大神社内  |
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厳密に言えば、キツネなので狛犬ではないのかもしれません。狛狐と書くべき?でも、そんな日本語は存在しないし(^^ゞ
親子のキツネです。子狐をあやす親狐の姿を見ると、なんだかほほえましい気持ちになります。少し破損してしまっているのが残念です。このように。稲荷社には狛犬の代わりに、一対のキツネが祭られています。
稲荷といえばキツネ、キツネといえば稲荷ですが、両者の関係には謎が多く、はっきりしたことはわかっていません。
八幡山の名で親しまれている裏山は、古谷山(こややま)が元々の名称です。
明治初期、大津にあった佐倉藩の陣屋を解体して、横須賀製鉄所(のちの海軍工廠)に移した時、陣屋内にあった八幡宮を横須賀製鉄所の鎮守として古谷山に祭ったことから、八幡山と呼ばれるようになりました。
三浦半島の歴史:横須賀製鉄所
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| 撮影:2006年12月05日 |
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狛犬 |
京急横須賀中央駅下車 徒歩13分
諏訪大神社内  |
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実に珍妙なる狛犬です。フレンチブルドッグがウンコをしているかのような、そんな姿をしています。どうみてもフレンチブルドッグにしか見えないのですが、当時、日本にフレンチブルドッグがいたとは考えられないし・・・
謎ばかりが深まる、不思議な狛犬です。
頂上近くから、神社の裏手に接する地区は、諏訪公園になっています。
明治33年、当時の皇太子だった大正天皇の結婚を祝って、公園化事業が進められ、明治45年に完成しました。
かつては、クマやサルなどの小動物が飼われていた他、ヴェルニーの胸像や、海軍工廠殉職職工の招魂塔が建てられていました。
明治40年、市制施行直後には、山頂に八幡山小学校があり、聖ヨゼフ病院には諏訪小学校と市役所がありました。
三浦半島の歴史:横須賀市小川町・横須賀市役所
三浦半島の歴史:人物事典・フランソワ・レオン・ベルニー |
| 撮影:2006年12月05日 |
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