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野比地区の氏神様である、白鬚神社です。社業林は神奈川県の天然記念物になっていて富塚山があります。 富塚山|横須賀市野比 - 三浦半島観光地図 祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)です。日本創生のころ、天孫降臨の際に、天津日高日子番能邇邇藝命(あまつひだかひこほのににぎのみこと)を先導したと言われています。道案内、道中安全の神様です。 創建年代は不詳です。大和・西国との往来がさかんとなった時代、近江の白髭神社の祭神を勧請し、波の荒い千駄ヶ崎の海上安全と、周辺の人々の守護安泰を祈願する社として、当地に祀られたものだと考えられます。 社伝によれば、1631年(寛永8年)、菱沼某、同士を募り社壇を富塚山(とがやま)南麓に奉還するとあります。1691年(元禄4年)、菱沼義行が、社殿倒壊を悲しみ、ふたたび里人とともに再建するとあります。社殿は、はじめは山の頂上あたりにあったようですが、江戸時代初期に、現在地に移されたようです。 山頂付近に石窟がまだあるといわれていますが、柵がしてあるため入ることはできません。 1873年(明治6年)6月、村社になりました。この時、天満宮、諏訪明神、貴船明神、子之神社、水神社などが合祀されました。 毎年7月15日前後の土日を選び、野比全体で例祭が行われます。 野比地区にも、浦賀と同じように虎踊りが伝えられています。伊豆下田の御幸神社の流れで、浦賀とほぼ同じ方法で行われます。虎は一体で、虎を中心に唐人姿(和唐内)にふんした子供、大人たちによって行われます。虎踊りが行われる場所は、神社前の駐車場です。 白髭神社祭礼|横須賀市野比 - 三浦半島観光地図 白髭神社初詣|横須賀市野比 - 三浦半島観光地図
高い石垣が特徴的な白髭神社です。 無住の神社のため、人の気配がなくて寂しいところです。今は求職中でハローワーク通いをしているので、私で良かったら宮司になるのですが・・・ Tourist Information & Historic Spot. Shirahige Shrine, Nobi, Yokosuka City, Kanagawa, Japan.
普段は神主さんがいない神社なので、拝殿はありますが戸が閉まっています。向井にある駐車場に社務所がありますが、誰もいないみたいです。 お正月にはたくさんの初詣客が訪れ、拝殿も開放されています。お札やお守りが購入できるのは、お正月の時期だけです。初詣客には甘酒や日本酒が振る舞われます。
白髭神社を守護するために置かれた狛犬です。とても立派な造りの狛犬です。境内が狭いためか、少しわかりづらい場所に建てられていますが、白髭神社に行ったら、ぜひ狛犬に注目してみてください。 狛犬の起源は、インド、ペルシア、エジプトなどにあると考えられています。エジプトでいえば、スフィンクスがその一例となります。 本来、日本に伝えられた狛犬はライオンだったんですが、ライオンを見たことのない日本人にとっては、犬とみなしていました。 当初は狛犬と獅子は混同されていましたが、平安時代になると明確に区別されるようになりました。しかし、後世には再び混同されるようになり、その姿は犬に近付いています。
白髭神社の境内に建つ稲荷神社です。ほとんどの神社には、小さいながらも稲荷神社のお社がありますね。「お稲荷さん」の名前で、古くから庶民の間で親しまれてきた神社です。 稲荷の神は、ウカノミタマやウケモチノカミと言われています。稲の魂を神格化したもので、食物を司るといわれています。「イナリ」は「稲成」と考えられ、稲が成長する力をあらわしたものです。 そして、豊かに実った稲穂を荷って神に捧げる姿から、「稲荷」の字があてられるようになりました。 もちろん、農耕の神様で、古くから稲作を中心に農耕を営んできた日本人にとってはもっとも身近な神様です。
小さな社ですが、稲荷神社です。地元の人が稲荷神社って言っていたので、間違いなく稲荷神社です。 明治時代に野比地区の氏神様となりましたが、その時に合祀された神様はどこに行っちゃったんだろう? かつては五穀豊穣の神様でしたが、現代では商売繁盛の神様となっています。個人事業主となった私にとっては、こちらへのお参りの方が熱心になってしまいます。ですが神社って、ご利益を期待して参拝する場所ではないんですよねー、本当は。生活の現状を報告に行く場所なんですよね。
こちらは稲荷神社を守護する狛犬です。普通は稲荷神社には、キツネなんですが、なぜか白髭神社では狛犬となっています。 小さな神社の白髭神社ですが、江戸時代の作品と思われる非常に立派な狛犬が二対もあるのが、とても不思議な気がします。白髭神社の狛犬は一見の価値ありです。 稲荷神社には、普通は一対のキツネが祭られています。キツネは稲荷神の使いですが、互いの関係に関しては謎が多く、なぜキツネなのか、はっきりしたことはわかっていません。 稲荷信仰は時代と共に盛んになり、近世には大流行しました。山伏などが「稲荷下げ」を行い除災招福を祈ったり、憑依したキツネの霊が予言をしたり。「狐憑き」といった言葉も、この時代あたりから使われるようになったようです。 現在では、商売繁盛の神様として信仰されています。
宝物庫らしき場所に、お宝を発見しました!!とても立派な神輿が2基、鎮座しておりました!! キンピカピカリで、写真を撮ったのですが、太陽光が反射して上手く撮影できませんでした。なんとか頑張って補正してみたんですが、フォトショ職人ではないので難しいですね。 お祭りの時に実際に使っている神輿なのか、使わずに奉納してある神輿なのか、わからないのですが・・・。朝日を浴びて、とても綺麗に光っていました。 宝物庫の奥の方には、縄が掛けられていました。漁業などに関係するものかなって思います。 神輿を奉納した人の名前なのかな、永塚、荒井、石井、青木、西島、菱沼、堀越、などの苗字がありました。野比地区に古くから住んでいる人の苗字だと思います。
石です。もしかしたら、岩なのかもしれません。 しめ縄がしてあるくらいなので、なにか由緒正しき石で、神の宿る石なのかもしれません。下の方にぽっかり開いた穴が、なにか意味深です。 鉢巻きを巻いた魚屋のおじさんのような、そんな印象を受ける不思議な石です。 人面石なのでしょうか、それとも野比海岸から陸揚げされたものなのでしょうか。
こちらも石です。 こちらは、在郷軍人のための慰霊碑や、忠魂碑のようなものだと思います。 日本では明治時代以降、幾多の戦争がありましたが、どの戦争のときに作られたものなのかはわかりません。 で、でも、石の上に、【奉納】なんて刻まれた石を乗せなくてもいいような気がしますが・・・。石の正面や、下に置くべきでは(^^ゞ
碇と神事で、碇シンジです、、、って、そんなわきゃありません。エヴァンゲリオン知ってる人にしか通じないか(^^ゞ 白髭神社境内には、とっても立派なイチョウの木が所狭しと生えていたのが、とても印象的です。秋になると、ギンナンが実るのでしょうか。 その中にひっそりとたたずむ、錆びてボロボロになった大きなイカリ。 これは戦前、アワビ漁の潜水夫が、『大島出し』と呼ばれる暗礁で発見したものです。この暗礁の近くには、大きな伊豆石がたくさん沈んでいるといわれているので、江戸時代に石積船が遭難したのかもしれません。 江戸(東京)では大きな石はほとんどなかったため、伊豆から石を運んでいました。横須賀造船所も伊豆石で造られています。 このように、野比近辺の海域では、船の遭難が多かったようです。 身近な植物図鑑:イチョウ(銀杏)
写真には電線ばかりが映っていますが、神奈川県の天然記念物に指定されている白髭神社の社業林です。 神奈川県の沿岸部は、スダジイやタブノキが優占する常緑広葉樹林で覆われていました。しかし、人々の生活によって切り開かれ、現在では自然林はわずかしか残っていません。 その中でも、白髭神社の裏山南面は、良好な自然状態を維持している社叢林が広がっています。海に面した丘陵上に位置する立地条件から、強い海風にさらされることが多く、社叢林の高さは風衝作用によって低く抑えられ、10m前後に過ぎませんが、典型的なスダジイ林を構成しています。 ヤブツバキ、シロダモ、ヤブニッケイ、カクレミノなどの常緑広葉樹が高密度で出現し、植物社会学的にヤブコウジ−スダジイ群集と判定されます。 海岸近くの土壌の浅い丘陵地に、厳しい立地条件のもとで成立するスダジイ林の典型として、学術的な立場から、また貴重な郷土の森という観点から、神奈川県の指定天然記念物として保護されています。 ベランダ園芸:スダジイの育て方 ベランダ園芸:シロダモの育て方 身近な植物図鑑:タブノキ(2006年06月27日) 身近な植物図鑑:ヤブツバキ(2006年03月02日) 身近な植物図鑑:カクレミノ(2007年07月28日)
海に向かって建っている、大きな鳥居。ここをまっすぐに進むと白髭神社にたどりつきます。 海上の安全と、周辺の人々を守るために建てられた神社なので、海に向かって鳥居が建っているのでしょう。海沿いの神社では、神社から少し離れた場所に海に向かって鳥居が建っていることが多いですね。 特に三浦半島は海に囲まれており、交通手段も船に頼っていたため、海沿いに数多くの神社が建てられています。