横須賀市吉井の真福寺

真福寺 浦賀地区

吉井にある浄土宗のお寺、真福寺。山号は吉井山といいます。三浦観音札所の第15番に数えられています。
アクセスの悪い場所にある上、細い路地の奥の方にあるのでわかりづらいです。Googleマップでは「眞福寺」となっています。
最寄り駅は久里浜駅になりますが、徒歩30分くらいかかってしまいます。バス停「吉井」から徒歩10分から15分くらいでしょうか。駐車場はありません。周辺の道が狭いので駐車スペースもありません。
小さな寺院ですが寺宝は多いです。ただし非公開なので見ることはできません。

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真福寺の由緒

案内看板から

本堂は創建当時(1522年)のもので鎧戸(よろいど)がある重厚な建築です。
浄土宗のお寺で本尊は阿弥陀如来です。
堂内には、幕末期に安房の彫師・武志伊八(たけしいはち)が彫った見事な透かし彫りの両面欄間(りょうめんらんま)があります。
三浦三十三観音の第十五番札所で、観音堂には聖観音像が安置され午・丑の年に開帳されます。
前立ちの赤子を抱いた観音様は「マリア観音」と呼ばれキリスト教との関係を暗示しています。
格天井には花・鳥・魚などの絵が描かれ北斎の作風とよく似た貴重な物です。
境内には眼病に効くと云われる両面地蔵が三体、墓地には浦賀の廻船問屋などの墓があります。
浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ

横須賀市のウェブサイトから

享禄元年(1528年)僧・一誉清光(いちにょせいこう)の開山といわれます。
本堂は創建当時のもので金物類が一切使われておらず当時の造りをよく残し、重厚さが感じられます。
本堂のガラスケースにある大彫刻は、以前、庫裡(くり)の欄間(らんま)にあったもので、一本の欅(けやき)を両面から彫った見事なものです。作品名は「黄石公張良」(こうせきこうちょうりょう)といい、老人が橋から川(と思われる)に落とした履物を若者が拾おうとしている図です。作者は波(浪)の描写が得意とされる、幕末の安房の彫師(仏師)・武志伊八郎(たけしいはちろう)です。この作品も、波の描写が素晴らしく、浦賀に滞在したとされる葛飾北斎の波(浪)のダイナミックな描写と関連があるのではないかといわれます。黄石公(こうせきこう)は中国・秦末(前200年頃)の隠士で、張良に兵書を授け老人です。張良はこの兵書を読み、前漢の高祖の天下平定を助けたと伝えられています。
境内の観音堂には聖観音が安置され、三浦三十三観音の第十五番札所となっています。聖観音は秘仏で、普段は拝見できません。
この聖観音を安置した大きな厨子の前に、抱児観音が安置してあります。
子供を抱いた子育観音ですが、裳の端が魚の形になっており、ヘブライ語でイエスは魚を意味することから、キリスト教との関係が暗示され、マリア観音とも呼ばれています。関東地方では数少ないものです。
この観音堂は、もとは西浦賀の谷戸にあったのですが大正3年に大破したので、真福寺の檀家が真福寺境内に建て直し、寄進したものです。
観音堂内部の格天井には、花・鳥・魚など48枚の絵が描かれています。
この絵は、葛飾北斎に心酔した、同時代の地元の絵師によるものですが、構図・描態上から北斎に著しく似るといわれ、貴重なものとなっています。
北斎は、天保6年頃(1835年)理由は定かではありませんが江戸を離れ、浦賀から少し離れた吉井の牛島あたりに潜居していたようです。
浦賀には北斎の母方の実家がありましたので、その関係もあったのでしょう。浦賀には何らかの理由があっていられなくなり、翌年には江戸に戻っています。自ら「画狂老人」と署名し、一生のうち数多く名を変え、浦賀時代には三浦屋八右衛門と称していたようです。北斎の実家は江戸で御庭番の役にあたっていたので、絵を描きながら諸国を回り、情勢を把握していたのではないかという説もあります。
墓地には浦賀の回船問屋である三次六兵衛の墓をはじめとした大店の墓や、三浦古尋録』の著者・加藤山寿の墓もあります。このお寺には、日光の素麺滝から移したと伝える枕返し地蔵(別名素麺地蔵)も祀られています。里人がこの地蔵に足を向けて寝たところ、目をさますと枕元にいたという伝説があります。

そうめん地蔵・枕かえし地蔵・寝返り地蔵の伝説

吉井の里人が真福寺に寝泊まりした時のことです。何も気にせずお地蔵様の前で足を向けて寝てしまいました。夜中に目が覚めると、いつの間にか寝ていたときとは反対向きになっており、お地蔵様に頭を向けて寝ていました。
このとき、里人はお地蔵様に申し訳ないことをしたと気付きました。その話が里人の口から伝わり、「寝返り地蔵」や「枕かえし地蔵」と呼ばれるようになったと伝えられています。
また、「そうめん地蔵」と呼ばれるようになった由来は、日光の山奥に「素麺滝」がありますが、そこで安置されていたことから「そうめん地蔵」と呼ばれるようになりました。
『横須賀雑考』には泥棒が入りお地蔵様の前にある賽銭箱を盗もうとしましたが、賽銭箱が床にピタリと張り付いて動かせず、何も盗らずに帰っていったという話が書かれています。

真福寺の写真

参道

真福寺参道

参道(2019年7月10日撮影)

数年ぶりに訪れた真福寺。今回で3回目くらいになるのかな、以前と変わらぬ姿を拝見することができました。
すぐ近くにある法善寺は大きく変わってしまったんですよねー。
真福寺には山門はないみたいです。

本堂

真福寺本堂

本堂(2019年7月10日撮影)

本堂が見えてきました!!
それほど広い境内ではありませんが、庭は綺麗に手入れがされているようです。
私は久里浜駅方面から訪れましたが、江戸時代のころは浦賀方面から御林を通り抜けて訪れる人が多かったようです。

横須賀市吉井の御林
かつての浦賀道だったり、里山の雑木林の面影が良く残っている場所、御林(おはやし)。近年ではこうした場所はめっきり少なくなってしまいました。 何もない場所のようにも思えますが、現代では貴重な存在となっています。 Googleマップでは「幕...
真福寺本堂

本堂(2019年7月10日撮影)

本堂に近付いてみたら業者さんが来ていました。庭の手入れをされている業者さんのようでした。
業者さんがいたので本堂には近付けませんでした。彫刻とかあったかもしれないけど確認できませんでした。以前訪れたのは数年前なので、彫刻があったかどうかわすれちゃいました。

真福寺本堂

本堂の屋根(2019年7月10日撮影)

本堂の裏手に回ってみました。
屋根が大きくて立派ですねー。こちらの本堂は創建当時のままだそうなので、江戸時代に造られたものです。当時は茅葺屋根だったと思います。
茅葺屋根はメンテナンスが大変なので銅板葺きに変えたんだと思います。

真福寺本堂

本堂の壁(2019年7月10日撮影)

裏手に回るときに本堂側面とかを見ることができたんですが、だいぶ傷んでいますねー。
近くでじっくり見るとボロボロなんですよね~。

真福寺本堂

本堂の後ろ姿(2019年7月10日撮影)

本堂の後部に回ると衝撃的な光景が!(@_@)!
電柱のように太いつっかえ棒で支えられているではありませんか!!
かなり古い本堂なので柱が痛んでしまっているのかも。屋根を支えることができずに傾いてきてしまったのかな。今の技術を使えばつっかえ棒を使わずに強度を増して補修はできるんだろうけど。費用などの問題が出てきちゃうし。
東日本大震災、良く耐えましたねぇ~!!頑張った!!!

観音堂・マリア観音

真福寺観音堂

観音堂(2019年7月10日撮影)

お寺の中に神社があるって思って、かつて神仏習合の時代に建てられたのかなって考えたのですが・・・
西浦賀から移築されたものらしいです。
きっと御林を通り抜けて資材を運んできたのかなと思います。人力では限度があるので馬かなー。

真福寺観音堂

観音堂の彫刻(2019年7月10日撮影)

小さなお社ですが、彫刻がとても立派で印象的でした。彫刻は必見ですね。小さいながらもお金をかけているなって感じます。
なんていうのかな、良い佇まいをしているんですよー。

真福寺観音堂

観音堂の千社札(2019年7月10日撮影)

千社札がいっぱい。剥がれた跡もいっぱい。
知らない人はシールだと思っているかもしれませんが、シールじゃないですからねー。それに、自分で作った糊を使うので、粘着力は弱くて意外と綺麗に剥がれるんですよ。

真福寺マリア観音

マリア観音(2019年7月10日撮影)

扉の格子からのぞき込んだり、扉をちょこっと開けちゃえば内部が見えるんだけどぉ~。
勝手にやっていると泥棒だと勘違いされちゃうかもしれないので、ココは我慢の子。
僕は写真データとして文化財を保管しておくのって重要だと思っているんだけどね。何があって失われてしまうかわからないからねー、今年は台風15号や台風19号で横須賀市内でもかなり被害が出ているし。失ってしまうと写真の大切さに気付いたりします。

仏像・石造物

真福寺奥津城観音

奥津城観音(2019年7月10日撮影)

奥津城観音って書いて「おくつき観音」って読むらしいです。
あの世の暗闇の中でもがき苦しみ彼岸に辿り着けないでいる魂を、白コウの輝く光で導き給える。観音の懐に抱かれた魂は蓮の花の上で遊び戯れながら、心が安らぎ救われたり。
って、書いてありました。
奥津城って何だろうと思って調べてみたら、神道でいうところのお墓なんだそうです。

真福寺地蔵

お地蔵さま(2019年7月10日撮影)

真福寺名物の七地蔵です。
六道を表すのが六地蔵なんだけど、こちらはその上をいく七地蔵。天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道に戦車道を加えて七道になります。
NARUTOを見ていたから六道を「りくどう」って読んじゃいますね~。

真福寺石仏

石仏(2019年7月10日撮影)

境内にはいくつかの石仏が立っています。
案内看板には両面地蔵が3体あるって書かれてありましたが、どれが両面地蔵なのかよくわかりませんでした(^^;)

真福寺石仏

石仏(2019年7月10日撮影)

とっても小さいけれど頑張っている石仏を発見!!
右腕は風化して失われてしまっていますが、左腕一本だけで頑張っています。
かなり手の込んだ石仏ですよね~。これを製作した石工さんはかなりの技術を持っていたとおもわれます。浦賀地区の寺社って大きくはないんですが彫刻がちょこちょこと豪華なんですよ~。

真福寺池

池と石塔(2019年7月10日撮影)

池もあります。
緑が多くて水もあるので、蚊がいっぱいいます。Tシャツにハーフパンツで訪れたのですが、ものすごく蚊に刺されました。あやうく失血死するとこでしたよー。

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