横須賀市野比の最宝寺

横須賀市

地元では五名山(ごめいざん)と呼ばれる最宝寺。最宝寺といっても通じないみたい。
京急久里浜駅~YRP野比駅の間にあるとても小さな踏切を渡った谷戸の奥の方にあります。大きな駐車場がありますが、車1台しか通れない狭い踏切を抜けなくてはいけないので、慣れてないと行きづらいです。狭いのに意外と車が通るし。
YRP野比駅からは徒歩10分程度かな。
私が子供の頃は周囲は棚田の水田ばかりでした。

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■ 由緒

浄土真宗の本願寺派に属する寺院です。
山号は五名山、高御蔵(たかみくら)最宝寺(さいほうじ)っていいます。本尊は阿弥陀如来です。旧本尊の薬師如来坐像は火災を免れ神奈川県の文化財に指定されています。木造の寄木造りで、高さ86cmあります。

1195年(建久6年)、源頼朝が鎌倉の弁ガ谷(現在の材木座の光明寺の近く)に天台宗のお寺を建てたのが始まりです。宮中の高御蔵に安置してあった行基作と伝えられる薬師如来坐像を本尊にしたといわれています。寺名も『高御蔵』と名付けられました。開山は明光(めいこう)、本尊は薬師如来でした。1209年(承元3年)、明光が親鸞に帰依したことから浄土真宗に改宗し、本尊を阿弥陀如来になりました。
1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めの際に兵火に巻き込まれて炎上してしまいました。1521年(大永元年)、火災に遭って再び炎上。

こうして野比に移ってきました。
また明心の時代、後北条氏の浄土真宗弾圧があり大永年間(1521年~1528年)に野比に移ったともいわれています。小田原北条氏は浄土真宗が嫌いだったみたいで、三浦氏は浄土真宗が好きだったのかな?甲斐武田氏とか。

■ 写真

看板

看板(2019年6月6日撮影)

京急の踏み切りから最宝寺へと向かう途中に立っている看板。
かつては石碑の道標を建てているだけで存在感があったんだろうけど、現在では目立たなくなってしまったので看板を立てたのだろうと思います。
といっても、だいぶ古そうな看板だけどね。

石碑

石碑(2016年1月13日撮影)

高御蔵五名山最宝寺って書いてあります。
たしか大正何年って書いてあったような気がします。立派な石材を使っていますよね、高級品だったのではないでしょうか。

石仏

石仏(2019年6月6日撮影)

看板の足元には石仏が建っています。
ここに馬頭観音が建っているってことは、この当時から野比から久里浜へと抜ける道があったってことなんだろうなーと思います。尻擦り坂の場所はほぼ変わらないのかも。

馬頭観音

馬頭観音(2016年1月13日撮影)

馬頭観音は1927年(昭和2年)に建てられたものでした。
山本甚蔵さんが建てた馬頭観音です。約100年前の山本さん、まさかインターネットで公開されることになるなんて思ってもいなかっただろうなー。すでに歴史上の人物となっています!!

入り口

入り口(2019年6月6日撮影)

天気が良かったので散策と史跡巡りを兼ねて訪れたのですが・・・
造園業者さんが庭の手入れをしていたので、良い写真が撮れませんでした。しょうがないので、業者さんの姿が石塔に隠れるようにして撮影しました。

本堂

本堂(2016年1月13日撮影)

造園業者さんとそのトラックが境内に止まっていて写真が撮れなかったので・・・。以前に撮影した写真を使うことにしました。
夕方になってから訪れたので、なんだか薄暗くて発色も悪いですね。

本堂

本堂(2019年6月6日撮影)

最宝寺の本堂ってアルミサッシに囲まれているので、なんとなく参拝しづらいんですよー。近寄りづらい雰囲気があるっていうのかな。
笹竜胆の家紋がありますね、源頼朝にゆかりのある寺院だからでしょう。そういえば鎌倉市の市章も笹竜胆ですね。

石仏

石仏(2019年6月6日撮影)

手前が阿弥陀如来、奥が観音菩薩です。
阿弥陀如来は薄着でグラビア風、観音菩薩は厚着でコスプレ風といったところかな。だいぶ違うと思うけど(^^;)
ペットの納骨堂になっているみたいです。

ショベルカー

ショベルカー(2016年1月13日撮影)

最宝寺所有のショベルカー!!
まさかこんなものまで所有しているなんて!!
墓地を造る造成工事で使うんだろうけど。重機って建築会社でもリースだったりすることもあるのに寺院が所有してるのでびっくりしました。型はだいぶ古そうだけど。
メンテナンスとか大変そう。

■ 文化財

木造薬師如来坐像

木造薬師如来坐像(2019年6月6日撮影)

薬師如来は除病安楽・苦悩解脱など12の大願を建て、衆生の病苦や無明を救うための法薬を与える現世利益的な仏として古代より大衆の尊崇を受けてきました。
寺伝によれば、最宝寺が鎌倉弁ガ谷に創建された天台宗当寺の本尊です。
構造は寄木造りの玉眼入り、像高は86.5cmで、左手の薬壺と彩色は後世のものです。
頭部の螺髪は刻み出し、面部はこの時期の特徴である目じりの上がった切れ長の目で、張りのある引き締まった威厳のある相をしています。膝前は両脚の先が衣にかぶる造りで、その衣文ひだの複雑な重なりが良くまとめられています。
全体に鎌倉後期の宋朝風の影響が顕著で、鎌倉地方仏の如来形としても典型的な像です。中世の薬師如来像が現存する例は鎌倉でも少なく、優作として貴重なものです。

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