横須賀市野比の称名寺

横須賀市

山号は酔蓮山といい、浄土真宗のお寺です。本願寺派で、西本願寺の末寺となっています。本尊は阿弥陀如来です。金沢文庫にある称名寺とは無関係で、偶然同じ名前になっているだけです。三浦第11番の観音札所になっています。
野比小学校のすぐ近くにあります。けど、裏側だから目立たないかも。
YRP野比駅からは徒歩約10分。参拝者用の駐車場も用意されています。

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■ 由緒

石碑より

山門脇にある石碑によれば、こんな感じです。
開基真仏上人
往古真言宗一水山大塔院と称し貞永年間下総国結城称名寺の開基転住見真大師化導の際真宗に改め称名寺と号す。
上人は宗祖在世中最も宗教的情熱の烈しかった高弟にして五十才の時没す。
天明六年六月火災により古文書等烏有に帰したるも十七世釈了性寛政七乙卯年十一月再興現在に至る。
往古野比千駄崎より水災風涛のため地堺堂宇破損せしにより当山へ遷座す。
仏体の反面灰炉に残るを以て納経灰中出現の霊像といわれ行基菩薩の御作北下浦唯一の安産の観音であり又三浦札所十一番の霊場として世人の信仰とくにあつし。
本尊 阿弥陀如来 正観音菩薩
寄進者 当山総代 長沢六兵衛 山田実

簡単に説明をするともともとは真言宗のお寺で山号は一水山(いすいざん)、院号は大塔院といい、下総国結城(現在の茨城県結城市のあたり)にありました。1232年(貞永年間)に真言宗に改め、寺号を称名寺としました。1795年(寛政7年)、現在地に移りました。
たぶんこんな感じだと思います。

資料より

お寺の石碑に刻まれてある由緒と私の手持ちの由緒、内容がだいぶ異なってしまうようなので、手持ち資料の方も紹介しておきます。『新編相模国風土記稿』を参考にしています。
この寺院の由緒に関しては、はっきりしていないという言葉が正しいのかなと思います(^^;)

山号は亀鶴山(きかくさん)といい、本願寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来です。古くは真言宗のお寺で、山号は一水山(いすいさん)、院号は大塔院(だいとういん)といいました。
1232年(貞永元年)、僧侶の了法が親鸞に帰依して浄土真宗に改宗しました。1442年(嘉吉2年)、僧侶の了現が中興にあたりました。また、時期はわかりませんが観音堂があり、「正観音を置く、元の本尊なり」とあります。
1787年(天明6年)、火災に遭いました。1796年(寛政7年)、再建しています。
1970年(昭和45年)、1771年(昭和46年)、火災に遭い本堂を焼失しています。現在の本堂は鉄筋コンクリート造になっています。

■ 観音堂と千駄ヶ崎の伝説

観音堂

三浦三十三観音霊場の第11番札所となっています。
もとは千駄ヶ崎にあったものです。観音菩薩像は行基の作と伝えられています。
また、火災にあった観音像は焼け跡の灰の中から首だけが残っていて見付かったとのこと。現在の観音像の胎内に古い観音像の首が納められていると伝えられています。
こちらの観音像は腹籠りの観音(はらこもりのかんのん)と呼ばれています。安産の守り本尊とされています。

観音堂

観音堂(2010年1月10日撮影)

ド派手な色をした観音堂。観音堂っていうよりも、神社って感じですよね。だけど観音堂っていうことになっています。
私はお寺の境内にある神社だと思いました(^^;)

観音堂

観音堂(2019年6月6日撮影)

正面の扉が少しだけ開いていたので覗き込んでみたら・・・
いた!!
でも、今回は写真は撮りませんでした。

千駄ヶ崎の伝説

野比と久里浜の境界線のあたりを千駄ヶ崎といいます。この地には以下のような伝説があり、地蔵菩薩のことが観音菩薩だったのではないかとも考えられます。
ここには信心深い漁師一家が住んでいました。近くの山すそに祀ってあるお地蔵様を信仰し、大切にしてきました。漁師は毎日のように沖に出て漁に励んでいました。その暮らしぶりは評判がよく、広く村人たちに知られていました。
天気が良かったのでいつも通り親子で漁に出ると、急に天候が悪化し風雨が強まりました。船を海岸に戻すこともできず、大波にの揉まれて今にも転覆しそうな状態になってしまいました。親子も覚悟を決めて、日頃から信仰している地蔵に助けを乞うて祈るしかありませんでした。
妻や子も漁に出ている船が心配で地蔵のもとに駆け付け、夫と息子の安全を祈りました。すると地蔵の足元が急に明るくなり、その光は見る見るうちに広がり、御気に入る船にまで届きました。
光の帯には下駄が整然と並んでおり、そこだけは波は静かになっていました。船上にいる父子、海岸で待つ妻子、近所の者たちはみなその光景に驚いていました。
どこからともなく「沖にいる漁師らよ、下駄の上を歩いて海岸まで進みなさい。汝らは日頃から良きおこないをしているので助けてやろう。」と声が・・・
船に乗っていた漁師父子はその言葉を信じ、嵐の中で下駄の上を歩いて浜辺まで無事に辿り着きました。
その後、この漁師一家は地蔵を称名寺に移し、さらに進行を深め善行に励みました。
めでたし、めでたし・・・と。

■ 写真

参道

参道(2019年6月6日撮影)

称名寺へと向かう参道入口。野比小学校の裏口の正面あたりにあります。
野比にある寺院はすべて浄土真宗なのかな、なぜこうなったのかはわかりませんが。きっと何かあったのでしょう。称名寺以外は「最」っていう文字が使われてるのも、不思議な感じがします。

山門

山門(2019年6月6日撮影)

山門の隣りにアジサイが咲いていました。訪れたのは6月だったので、アジサイが綺麗でした。
境内には竹林もありました。冬になると水仙も咲きます。山号は酔蓮山っていうけど、ハスの花はないみたい。フジも見かけないかも。気が付かないだけかもしれませんが。

山門

山門(2019年6月6日撮影)

本堂はコンクリート造ですが、山門は木造でした。
1970年・1971年に火災に遭っているので、こちらの山門はその後に造られたものかもしれないですね。
詳しい人が見れば外見だけで建てられたおおよその年代とか、木材の種類なんかもわかるんだろうけど。私はそこまで詳しくないのでわかりませんです。

家紋

家紋(2010年1月10日撮影)

下がり藤の家紋かなって思ったんですが、じっくり見てみるとだいぶ違うような・・・
なんだろうって思って調べてみたところ、「西本願寺藤」のようです。西本願寺の末寺なので、西本願寺の家紋を使っているのかな。
関係ないんだけど、信長の野望とかやってると本願寺顕如の家紋って卍マークになっていたような気がします。ナチスドイツの象徴ともいえるハーケンクロイツって、やっぱり卍マークがもとになっているのかな?

本堂

本堂(2019年6月6日撮影)

コンクリート造の本堂です。野比の寺院の特徴なのかな、入り口はアルミサッシになっています。ちょっとお参りしづらいんですよね。
1階部分は駐車場になっているようです。

釣り鐘

釣り鐘(2010年1月10日撮影)

梵鐘と鐘楼です。
こちらもド派手な彩色でした。こちらの寺院では赤い色が好きなのかもしれないですね、住職はきっとガンダム世代では!?
もちろんシャア専用なので、兵卒の私は鐘を鳴らすことができません。

親鸞

親鸞(2019年6月6日撮影)

親鸞上人の銅像です。
実際に見たことある人はいないんだけど、こんな感じのイメージってことで。実際にはどんな人物だったんだろう?

歌碑

歌碑(2019年6月6日撮影)

こっそりと歌碑が置かれていました。自慢の短歌ができたのかな。
『あかときの 枕正しつ 山の音
海の音もきく 野比の称名寺』
了照さんの作品のようです。ここのお寺の住職さんは短歌が趣味だったのかもしれないですね。

歌碑

歌碑(2019年6月6日撮影)

ちょこちょこと寺院の説明が刻まれた石碑。短歌も添えられていました。
『いのちのび まいりて拝む かんぜおん
ニ世あんらくと いのるもろ人』

アジサイ

アジサイ(2019年6月6日撮影)

アジサイの咲く時期に訪れたので、せっかくだからアジサイの写真も。
天気が良いし、良い写真が撮れたのではないでしょうか。まあ、綺麗に撮れた写真しか掲載していないので、掲載している写真の何倍も失敗作のボツ写真があったりします(^^;)

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