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木更津駐屯地 |
JR内房線
木更津駅下車 徒歩20分
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三浦半島で見かける機会の多い自衛隊のヘリコプター。たぶん木更津駐屯地の第1ヘリコプター団だと思うんですよねー。陸上自衛隊の固定翼機としては、UH-1H/Jを見かける機会が一番多くて、そのほか、OH-6D、CH-47J/JA、AH-1Sなどが飛んでいるのを見かけます。
木更津駐屯地(JGSDF Camp Kisarazu)は、千葉県木更津市吾妻地先にあり、第1ヘリコプター団などが駐屯する陸上自衛隊の駐屯地です。
陸上自衛隊では木更津駐屯地と呼び、航空自衛隊では木更津基地(JASDF
Kisarazu Depot)と呼びます。海上自衛隊の航空補給処は駐屯地内にありますが、航空自衛隊基地は飛び地にあります。駐屯地と飛び地は、片側2車線の道路で結ばれています。駐屯地司令は第1ヘリコプター団長、基地司令は航空自衛隊補給本部第1補給処長が兼務します。
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写真撮影:2008年02月19日 |
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木更津駐屯地 |
JR内房線
木更津駅下車 徒歩20分
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敷地内には陸上自衛隊木更津飛行場があり、第1ヘリコプター団の拠点となっています。主要国首脳会議などで、海外の首脳が来日した際などに使用される、賓客の移動専用のEC-225LPヘリコプターの運用を行う特別輸送ヘリコプター隊が駐屯しています。駐留部隊はいないものの、在日米軍の補助飛行場に指定されていて、施設が提供されています。
有事の際は、第1ヘリコプター団のヘリを速やかに習志野駐屯地に向かわせ、そこに駐屯している第一空挺団や特殊作戦群の隊員をピックアップし、直接現地へ向かうか、木更津飛行場や海上自衛隊下総航空基地へ移動し、航空自衛隊の入間基地より飛来したC-1輸送機に乗せ換え日本全国へ展開します。
元々は大日本帝国海軍の航空基地として埋め立てられて作られた飛行場です。帝都防衛の他、硫黄島への連絡などにも使われていました。大戦末期には日本初のジェット機である橘花が初飛行した場所でもあります。
1945年9月にアメリカ軍に接収され、しばらくはアメリカ空軍の基地(木更津エア・ベース)として使用されていましたが、1956年に航空自衛隊木更津基地が発足し、輸送機部隊や飛行点検隊などが使用するようになりました。その後、アメリカ空軍の部隊は1961年に立川飛行場に移転し、施設の管轄権がアメリカ空軍からアメリカ海軍へ移動しました。
1968年には航空自衛隊の部隊が入間基地に移転し、茨城県の霞ヶ浦駐屯地から陸上自衛隊第1ヘリコプター団が移転し、陸上自衛隊木更津駐屯地として現在にいたります。
1968年12月、第9回日米安全保障協議委員会における在日米軍施設区域調整計画で基地返還が検討されましたが、アメリカ軍が「不可欠の任務のため当施設を継続的に使用する権利を有する」ことになり、現在まで全面返還は実現していません。その後、第7艦隊の空母に所属する故障中の艦載機が格納庫へ搬入されていたこともあり、1975年にアメリカ海軍の部隊が神奈川県の横須賀海軍施設に移転したのちは、アメリカ軍の使用実態はほとんどありません。日米地域協定では2条4項a(II-4a)における米軍管理・自衛隊共同使用施設・区域という位置づけになっています。 |
写真撮影:2008年02月19日 |
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木更津駐屯地 |
JR内房線
木更津駅下車 徒歩20分
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1968年、第1ヘリコプター団が霞ヶ浦駐屯地より移駐。
1986年、特別輸送飛行隊が第1ヘリコプター団傘下に新編。
1992年、第4対戦車ヘリコプター隊新編・配置。 |
写真撮影:2008年02月19日 |
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木更津駐屯地 |
JR内房線
木更津駅下車 徒歩20分
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駐屯している陸上自衛隊の部隊は、こんな感じです。
第1ヘリコプター団本部
・本部管理中隊
・第1輸送ヘリコプター群:CH-47J/JA
・第102飛行隊:UH-60JA・OH-6D
・特別輸送ヘリコプター隊:EC-225LP
・第1ヘリコプター野整備隊
・連絡偵察飛行隊:LR-1・LR-2
東部方面航空隊
・第4対戦車ヘリコプター隊:AH-1S・OH-1
・東部方面管制気象隊第3派遣隊
第428会計隊
第320基地通信中隊木更津派遣隊
第127地区警務隊木更津連絡班
木更津駐屯地業務隊
駐屯している海上自衛隊の舞台は、こんな感じです。
航空補給処
駐屯している航空自衛隊の部隊は、こんな感じです。
第1補給処本処 |
写真撮影:2008年02月19日 |
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UH-1H/J |
JR内房線
木更津駅下車 徒歩20分
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もしかして立川駐屯地の東部方面ヘリコプター隊かな?間違ってたらスンマソン。
日本では富士重工業が1962年(昭和37年)から陸上自衛隊向けにUH-1Bのライセンス生産を行っています。1972年(昭和47年)までに90機が納入されました。1972年からは大型化したUH-1Hに切り替え、1991年(平成3年)までに133機を納入し、民間型のB204も販売しました。UH-1Hの最終生産8機は暗視ゴーグル(JAVN-V6)対応コックピットとなり、末期生産の少数はテレビ映像伝送装置、または赤外線監視装置が搭載されました。
1991年(平成3年)度予算からは、AH-1Sのエンジンを搭載し、ワイヤーカッターなどを装備した富士独自の改良型
UH-1Jの調達に切り替わりました。UH-1Jはベルとの共同開発をベースとしていますが、80%を国産技術としています。
防衛庁では1997年(平成9年)からUH-1後継機として、三菱重工業ライセンス生産のUH-60JAの導入も開始したが、大変高価なためにUH-1Jと混用する計画に変更しました。UH-1Jは当初より、一部の機体が暗視ゴーグル対応コックピットで生産され、大半の機体は映像伝送装置か赤外線監視装置を搭載しています。J型の民間版205Bも開発し、販売しています。陸上自衛隊は2010年現在までにUH-1Jを130機調達しています。
富士ではUH-1J後継機としてUH-1J改の研究が行われ、UH-1Jのエンジンをプラット&ホイットニー製に転換した上で双発化し、メインローターも4枚に変更して信頼性を向上させ、UH-1J以下の価格、ライフサイクルコストの低減を実現することを目指しています。分担生産する川崎重工業OH-1の多用途化や、ベル412のライセンス生産も検討されています。 |
写真撮影:2008年02月19日 |
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