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紀年法


紀年法

紀年法

 

 紀年法と聞いても、「なんじゃらホイ」と思う人が多いと思いますが、何の事はない、西暦とか元号とか、年の数え方です。
 知らなくても日々の生活に困る事はまったくありませんが、知っていると自慢が出来ます。
 博物館などに展示されている文書を見るときに役立つ事があるかもしれません。


キリスト紀元、西暦

キリスト紀元、西暦

 

 言わずと知れた、イエス・キリスト生誕の年(生誕後4年説が現在は有力)を起点にする紀年法です。みなさん、普通に使ってますよね。紀元前はB.C.(Before Christ)、紀元後はA.D.(Anno Domini、主の年という意味)として示されます。
 日本において、ヨーロッパの宗教紀元を取り入れるのもおかしい気がしますが、日本史を世界史的背景の元に理解する意味でも、必要となってきます。


元号、年号

元号、年号

 

 元号は君主の統治の年数を示すもので、中国の漢(かん)の武帝(ぶてい)の頃確立した紀年法です。それ以後、中国の影響を受けたアジア諸国で行われ、日本でも、孝徳(こうとく)天皇の大化元年に使われ始めたとされています。しかし、最近の研究では、天武天皇時代に始まったものが、『日本書紀』編纂の時点で、孝徳天皇時代までさかのぼって用いられたものらしいと考えられています。

 元号制定は君主の特権で、 普通は天皇の代の初めに改元されます。そのほか、吉兆があったとか(白雉(はくち)・和銅(わどう)ど)、災異が起こったとか(転慶(てんぎょう)・安永など)、辛酉(しんゆう)・甲子(かつし)に改元するとかの理由で改元されることもあります。
 14世紀の南北朝時代には、南北両朝それぞれの元号が用いられました。
 明治以降は、一世一元(いっせいいちげん)の制となり、戦後はその根拠が失われましたが、1979年、元号法が成立し、天皇の代が変わるごとに政令で新元号を定めることになりました。

 元号の読み方は、主に漢音訓ですが、中には変わったものもあり、宝暦(ほうりゃく・ほうれき)のように、2つの読み方があるものもあります。
 また、正式元号の他に、正史に見えない逸年号(いつねんごう)、民間で信仰の意味から作られた私年号(しねんごう)などもあります。


干支(かんし)

干支(かんし)

 

 近代以前の紀年法で、特に重要なのは元号と干支です。
 干支は、一般的にいう『えと』で、十干(かん)十二支(し)の略です。干支による紀年法は、B.C.4世紀ごろの中国で始まりました。

 干は幹、支は枝に通じ、幹と枝があい補って順序を示します。
 干は日の記号で、1ヶ月を上・中・下の3旬(じゅん)に割り、1順10日の毎日につけた記号なので、10干あります。
 支は歳月の記号で、1年12ヶ月につけた記号なので12支あります。
 この両者を組み合わせると、下の表のような60の順序ができ、一巡するとまたもとへもどります。60歳をむかえて還暦(かんれき)の祝いをするのはこのためですね。

 読み方は音読みですが、十干は陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に基づいて、すべて五行(木火土金水)の兄と弟にわけ、甲は木兄(きのえ)、乙は木弟(きのと)と訓読みしてもOKです。
 また、十二支の文字は本来、植物の成長過程を示すものと考えられますが、中国の後漢(25〜220年)のころから、それぞれに鼠・牛・虎・兎のような動物をあてるようになりました。

 干支は年はもちろん、月日にもあてられ、その他、時刻や方位に対してもあてられました。
 近代以前の人々にとって、干支は日常の隅々にまでおよぶ重要な意味を持っていましたが、それだけに、干支にまつわる迷信に支配される傾向もありました。


干支表

干支表

 
きのえ ね
甲子
カツ シ
きのと うし
乙丑
イッ チュウ
ひのえ とら
丙寅
ヘイ イン
ひのと う
丁卯
テイ ボウ
つちのえ たつ
戊辰
ボ シン
つちのと み
己巳
キ シ
かのえ うま
庚午
コウ ゴ
10
かのと ひつじ
辛未
シン ビ
11
みずのえ さる
壬申
ジン シン
12
みずのと とり
癸酉
キ ユウ
13
きのえ いぬ
甲戌
コウ ジュツ
14
きのと い
乙亥
イツ ガイ
15
ひのえ ね
丙子
ヘイ シ
16
ひのと うし
丁丑
テイ チュウ
17
つちのえ とら
戊寅
ボ イン
18
つちのと う
己卯
キ ボウ
19
かのえ たつ
庚辰
コウ シン
20
かのと み
辛巳
シン シ
21
みずのえ うま
壬午
ジン ゴ
22
みずのと ひつじ
癸未
キ ビ
23
きのえ さる
甲申
コウ シン
24
きのと とり
乙酉
イツ ユウ
25
ひのえ いぬ
丙戌
ヘイ ジュツ
26
ひのと い
丁亥
テイ ガイ
27
つちのえ ね
戊子
ボ シ
28
つちのと うし
己丑
キ チュウ
29
かのえ とら
庚寅
コウ イン
30
かのと う
辛卯
シン ボウ
31
みずのえ たつ
壬辰
ジン シン
32
みずのと み
癸巳
キ シ
33
きのえ うま
甲午
コウ ゴ
34
きのと ひつじ
乙未
イツ ビ
35
ひのえ さる
丙申
ヘイ シン
36
ひのと とり
丁酉
テイ ユウ
37
つちのえ いぬ
戊戌
ボ ジュツ
38
つちのと い
己亥
キ ガイ
39
かのえ ね
庚子
コウ シ
40
かのと うし
辛丑
シン チュウ
41
みずのえ とら
壬寅
ジン イン
42
みずのと う
癸卯
キ チュウ
43
きのえ たつ
甲辰
コウ シン
44
きのと み
乙巳
イツ シ
45
ひのえ うま
丙午
ヘイ ゴ
46
ひのと ひつじ
丁未
テイ ビ
47
つちのえ さる
戊申
ボ シン
48
つちのと とり
己酉
キ ユウ
49
かのえ いぬ
庚戌
コウ ジュツ
50
かのと い
辛亥
シン ガイ
51
みずのえ ね
壬子
ジン シ
52
みずのと うし
癸丑
キ チュウ
53
きのえ とら
甲寅
コウ イン
54
きのと う
乙卯
イツ ボウ
55
ひのえ たつ
丙辰
ヘイ シン
56
ひのと み
丁巳
テイ シ
57
つちのえ うま
戊午
ボ ゴ
58
つちのと ひつじ
己未
キ ビ
59
かのえ さる
庚申
コウ シン
かのと とり
辛酉
シン ユウ
みずのえ いぬ
壬戌
ジン ジュツ
みずのと い
癸亥
キ ガイ

西暦から干支の求め方

西暦から干支の求め方

 

 60の倍数を引いた余りの数字を、上の表各欄の下段に書かれてある数字から探します。
 例えば、1979年の場合、【1979-60*32=59】なので、59の干支は己未だということがわかります。


干支にまつわる迷信

干支にまつわる迷信

 
丙午 陰陽五行説では、丙は火の兄、午も火性。この年は火災が多いとされています。
八百屋お七は丙午の生まれ。丙午の女性は、気性が激しく夫の命を縮めるとの迷信が一般化しました。
1966(昭和41)年、丙午の年には、出生率が全国的に急減しました。
庚申 庚、申ともに金性で、冷酷な日だとされています。
天帝の使いが、この日の夜、天にのぼり人間の悪行を報告するというので、それを防ぐため、人々は徹夜をしました。庚申講、庚申塔の存在がそれを示しています。
辛酉 古代中国の讖緯説(しんいせつ)によると、辛酉の年には革命、甲子の年には革令(かくれい)があると考えられていました。
10世紀以降の辛酉・甲子の年に、改元がしばしば行われているのはそのためです。

神武紀元(皇紀)

神武紀元(皇紀)

 

 『日本書紀』に記された神武天皇即位の年を紀元元年とする紀年法です。
 神武紀元の採用は、1873〈明治6〉年の太陽暦実施にともなって行われ、昭和の戦時下まで盛んに用いられました。1940年には、『紀元二千六百年』も祝われました。
 現在はほとんど使われていません。


支配者の年号

支配者の年号

 

 古くから行われた簡単な方法で、当時の支配者の治世何年目という数え方です。
 例えば、聖徳太子の憲法十七条の制定は、「推古天皇十二年」ということになります。
 『日本書紀』を読み解く場合、これが必要になってくるそうです。

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