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深鉢形尖底土器(ふかばちがたせんていどき)といいます。特に大浦山遺跡から出土した土器は、大浦山式土器と呼ばれています。
大浦山遺跡は海に面した崖の中腹に開口した洞窟で、間口7m、奥行き20mあります。弥生時代中期〜後期には生活の場と埋葬の場として利用され、奈良時代以降は墳墓として使われました。
縄文時代海進期の海蝕によって作られたと考えられます。
床には、砂を敷き、その上に木炭末を重ね、灰で覆い、踏み固めるという作業を何度か繰り返し住居の床面にしました。湿気や水滴対策だと考えられます。
常時、海蝕洞窟に住んでいたわけではなく、農閑期や、端境期、食料の乏しい時などに、海の食料を求めるために短期間居住していたようです。釣り針やヤスなどを使って、魚介類を採集していました。漁具の多くは鹿角製ですが、まれに鉄製、銅製の釣り針も使われました。
また、大浦山洞窟には再埋葬された人骨が数例出土しており、人骨群の中には鉄の刃物で切ったとしか考えられない傷のある人骨片もありました。これは肉をそぐ時にできたものだと考えられ、儀礼的な食人の風習があったのではないかと考えられています。先人の知恵を自らの体内に入れるという考えから生じていたのかもしれません。 |
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