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真光寺


真光寺

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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真光寺
真光寺

 山号は高野山大岡山といいます。真光寺です。
 草創年代、開基、開山について、詳しいことはわかっていません。。「新編武蔵」には「古刹なること論なし」と記載されているので、弘明寺に次ぐ古刹だと思われます。
 真光寺は大正12年まで、現在の上大岡幼稚園のある場所(旧地名では字入ノ前)にありました。しかし関東大震災で倒壊してしまったため、昭和3年に現在地に移転しました。

 

写真撮影:2007年07月18日

真光寺

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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真光寺
真光寺

 さらに、老朽化のために昭和46年に新築し現在の本堂となりました。
 造りは入母屋造りで、奈良の唐招提寺金堂にあやかり、大屋根の両端に鴟尾(しび)を飾っています。
 真光寺の本堂で目に付くのは、やはり屋根両端の鴟尾だと思います。鴟尾は別名を沓型(くつがた)ともいい、大棟両端の魚尾形の飾りのことをいいます。
 最近では、鬼面や獣面の描かれている鬼瓦を使うことが多いです。
 鴟尾に似たものとしては、名古屋城大天主の鯱(しゃちほこ)があります。鴟尾から変化したものだと考えられ、頭部は虎、背上には鋭いトゲを持つ架空の海魚です。

 

写真撮影:2007年07月18日

真光寺

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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真光寺
真光寺

 きっと何かの建物だと思うのですが、良くわかりません(^^;)。最初はトイレかなーとか思ったんだけど・・・
 墓地のわき道を通り、上大岡小学校の方へ向かうと、元禄10年に造られた庚申塔や、寛政10年に造られた馬頭観音塔が坂道に建っています。
 このあたりはかつて雑木林で、森公田村(もりくでんむら)への小道が通っていました。現在の森が丘です。

 

写真撮影:2007年07月18日

庚申塔

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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庚申塔
庚申塔

 時代はいつのころに作られたのか、確認はしませんでしたが、おそらくは江戸時代後期のものでしょう。
 このほかにも、室町時代形式の石灯篭があります。気にしなかったのか、気にならなかったのか、事前の知識がなかったからでしょう。石灯篭は見つかりませんでした。
 庚申塔は沖縄をのぞく、日本各地で盛んに建てられた石塔です。石塔・石仏のなかでも、おそらくは群を抜いて数が多いものと思われます。道端の石仏などとして、もっとも親しまれてきた石仏です。
 造立されたのは、ほとんど江戸時代以降です。
 江戸時代前期の庚申塔は、庚申講の結衆の銘、舟型、猿だけが刻まれたものが多いです。寛文年間・延宝年間までに増立されたものを、江戸時代前期と分類します。
 江戸時代中期になると、主尊に青面金剛が刻まれ、豪華で飾りがにぎやかになります。元禄年間前後〜享保年間に増立されたものを、江戸時代中期の作とします。
 江戸時代後期となると、角型、自然石型が増加し、簡略化されていきます。文字だけのものが多くなります。

 

写真撮影:2007年07月18日

六地蔵

京急上大岡駅下車 徒歩15分
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六地蔵
六地蔵

 宝暦12年の作の六地蔵です。古いものなので、頭部の損傷などは激しいですね。
 六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のどこにいても救いの手を差し伸べてくれる六道救済のためのものです。僕の場合は、日ごろの行いが良いので、天上界あたりでしょうか(^^;)
 6つの分身として彫刻されるようになったのは、室町時代のころからです。

 

写真撮影:2007年07月18日
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